フィリピン ハゲ ちゃびん日記

フィリピーナと結婚し、1女を設けてしまい。フィリピンに滞在すること事を決意。既に、数年を経過。。。フィリピンから見た日本そして、日本人から見たフィリピン。何が正しく、何が間違いなのか、混沌する世界をさておき、ひたすらに、文化の違いに悪戦苦闘する日々を綴る

2018年の抱負

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明けましておめでとうございます。

 歳をとると、1年が早くあっとゆう間に時が過ぎてしまいます。ついに40歳を過ぎ初老を迎えたとなると、未だに中学生レベルの思考回路しか、持ち合わせていない自分に愕然としてしまう事があります。しかし、自分自身、反省もせず、のうのうと生きてしまった以上、「まあ、しょうがない。人間そうは簡単には変わらない。」という、楽観主義を自でいく生き方、がすっかり板につき、これは個性として前向きに捉えるしかないでしょう。(と、言い聞かせる毎日です。)

 

 さて、今年の抱負でございますが、個人的に計画する(ここ数年)商売案件がなんとか形になりそうなので、しっかりと現実として設立まで漕ぎ着ける事、これが大きな目標の一つです。後は、自分は大した事が無い人物の為、いちいち失敗や周りの評価は気にせず、「まず、楽しむ」事を大切にしたいと思います。

以前は、私自身、自分の能力の無さを、悲観してしまったり、他人と比べて「どうして、私には出来ないのだろう。。。」と自分に失望してしまったりしておりました。

フィリピンに来て良かったな。と思う事はこの部分です。彼らは、もっと悲しい事や、不幸な事がいっぱいあるにも関わらず、逞しく、そして朗らかです。勿論、良い事ばかりではなく、他人と比較して嫉妬したり、他人を殺すほど憎んだり、恨んだりと、ある意味、日本人より感情的な部分もあります。でも、まるでフィリピンの気候のように、激しさの中にも、カラッとした軽快な部分を多分に感じます。物事に固執するのに、時間的な固執はなく、何か引きずらない「潔さ」のようなものを感じます。

 こちらに来て、数年を過ごし、奥さんと仲良く(喧嘩しながらも)過ごし、子供は無邪気に日々成長してくれます。自分は失敗しながらも、日々新たな挑戦がこの歳で出来ている事が、幸せだな。と本当に感じる日々です。それも、フィリピンの気候と風土の中に、身を置く事で、自分もどこかフィリピンナイズされつつ、日本人の意識は持ちながらも、反省せず、少し図々しくなって「ま、いっか。」と時をやり過ごす事ができる能力を持った事、と言うと、少し大げさでしょうか。その、漠然とした未来に対する不安は、人間全てが持つ共通の悩みなのでしょうが、また同時に、いつまでも付いて回る悩みであり、そこをフォーカスしていてもしょうがない、「今が良ければ、それで良い」「神のみぞ知る」的な、日本人の感覚からすると、ちょっと怠惰な、その感覚を肯定できる環境が、自分に心地よい、そういう事だと思います。

 

 かと、言って、一緒に怠惰に暮らしましょう。という事ではなく、上述に戻ってしまいますが、結局、人間の能力等は限界があり、自分は天才でもなければ、努力家でも無いと。そうなると、自分の器の中で頑張って、乗り越えられなければ「未来は無いではなく」「他人に助けてもらうしか無い」というある意味他力本願的でありながらも、周りに感謝する事を忘れ無ければ、良しとしよう、という。だから、日々の生活は、ちゃんとしよう「神様見ているから。」的なフィリピン思想が板に付いてきております。

 全く「神さま」を信じていなかった私自身の最近の大きな変化は、「神さま」的な見え無い力はどこかにあるかも?と思い始めている事です。むしろ、「神さま」いるかも?、いや、フィリピンには「神さま」いるね、と変化している事です。

 

 各国共通で悪い事は重なりますが、一つ良い事があると、連鎖的に「ラッキー」が起こったりして、たまに「神さま」いるな(むむむっ、、見てるのか)と思うと、他人の目と言うより、は自分自身の目で「ちゃんとしなくては。」と思う、今日この頃なのです。この「ちゃんと」は明確なルールも無く、いくらでも言い訳ができるわけですが。。。でも、せっかくフィリピンに来て、楽しませてもらっているので、自分の思う「ちゃんと」を最低限努力し、「奥さん」と「娘」がキャピキャピしてくれる環境を構築し、そして余力でちょっと自分も「むふふっ」と楽しむ。

 それを今、「神さま」に誓います!ので、今年も宜しくお願い申し上げます。