フィリピン ハゲ ちゃびん日記

フィリピーナと結婚し、1女を設けてしまい。フィリピンに滞在すること事を決意。既に、数年を経過。。。フィリピンから見た日本そして、日本人から見たフィリピン。何が正しく、何が間違いなのか、混沌する世界をさておき、ひたすらに、文化の違いに悪戦苦闘する日々を綴る

国境とか民族とか

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デカルト

国境

海外に暮らすと、国境とは国家が引いた境界線である事がよくわかる。
フィリピンでの奥さんの実家はモスリムエリアのすぐ付近にあり、家族で良く行くビーチは既にそこは「モスリムエリア」である。

2022年より、パンサモロ自治区として正式に一部自治が開始されたが、これもフィリピンの国内問題である事は周知の通りである。

実際、奥さんの親戚に「モスリム」もいる。その為、ミンダナオのザンボワンガの先より、密航船でマレーシアに出稼ぎに行くことも、昔はよくあったようだ。

つまり、文化的背景に依拠したものではなく、現状の世界のパワーバランスと国家の意思(人々の集合的認識・総意)の結果なんだな、と実感できる。

勿論、結果としての合意が世界秩序として機能しており、それを力によって現状変更する事は安部前首相がおっしゃる通り、世界秩序への暴挙でしかないと思う。

民族

2020年にも日本のある政治家の「日本は単一民族」という発言が問題になった。法的にもアイヌ民族支援法が成立しているし、琉球が日本へ編入された「琉球処分」は1872年である。
それを引き合いに出さなくても、海外にふらふらしていた私は、明確なラインはなく各文化圏がまるでグラディーションのように、次第に濃く、また次第に淡く、そして何重にも折り重なるように、交わるイメージが実感としてある。

例えば、たまご。Mサイズがあり、Lサイズがある、商品構成上どこかで線引きしなくてはいけないが、鶏はスーパーでのたまごの商品規格は気にしない。
MとLの中間があり、LLサイズを作っても、またその中間が生まれる。この2次元であれば、まだ何とかなるが、さらに、色やつや、殻の厚み、と多次元を気にしだしたら、きりがない。何とも自然は奥深い。

人間も自然である以上、民族の文化的特徴、それはグラディーションのようで、明確に線引きするのは難しい。

日本人とは

うちには娘がいる、お世辞にも頭が良いとは言い難い。常に汚し、好き放題する、そして彼女は日本語が分からない。フィリピンで育ってしまったから、、、でもアニメは英語で見て、笑い、泣く事が出来る。頭が悪いのは、親のせいだろう。

一応、父親が日本人なので、彼女は日本人になる事は可能だ。勿論、法的プロセスを踏んだ、だから日本人だ。と言う事はいくらでも出来る。

では、今外国人労働者として滞在し、税金を納め、年金まで払っている彼らは、外国人だ。外国人労働者が増えると、日本人の賃金が停滞するという論を言う方もいるし、私自身も一理あると思う。

多様性の視点

ダイバーシティー(Diversity ; diverse/様々な)インクルージョン(Inclusion ;包含)よく企業でD&I等と言われる、様々な文化的背景・思想・宗教・他諸々の違いを超えて、創造的な成果に繋げようという理想的な文句である。

私は、性別・民族・人種・さらには言語や思想も超えて、チームとなれる新しい価値観が今世界に必要なのではと考えている。ロシア系とか、ウクライナ系等で分類するのではなく、外国人とか日本人とかでもない、ましてや女性や男性でもない。

統計データを作成する上での分類から解き放たれよ!
我は思う故に、あなたあり。(デカルト改)

国民国家のアンチテーゼのポエム風 / チョコアイスを添えて

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ロシアのウクライナ侵攻

フィリピンでも、大きなニュースになっています。
こんな、私もLive映像を見ながら野次馬的にニュースに噛り付く。
詳しくはないから、感覚でしか眺められないけれど、、

ゼレンスキー大統領が、国家総動員法だと仰っていましたね。

成人男子は国に残って戦う!と、、、
そして、多くのウクライナ男性が志願したと、、、
強力なロシア軍に善戦し、耐え続けていると、、、

私は一人娘がまだ5歳、「せめて、娘が成人するまで」
とお願いしたら非国民です。
緊急事態だからしょうがない、これが国民国家の正しい姿。

 

戦の後

プーチン大統領も、そんなにもNATOに恐怖を抱いたのですね。
世界の彼への非難は厳しく、それはきっと当然でしょう。

ただ、イラク戦争もシリア紛争も、
アメリカに対し、同様の気持ちになった人々もいたのですね。
プーチン大統領アメリカに対するアンチテーゼなのでしょうか?
今回、そんな事を感じてしまいました。

戦争して、ロシア兵も、ウクライナ兵も殺しあう、
大義を御旗に掲げて、正義を唱え、国家存亡を憂い、双方奮起する。

これが誇りというのなら、そんな誇りは捨ててしまいたい。

娘と一緒にアイスクリームを外で食べる、
「暑いね、今日もフィリピンは」

 

未来推量

国家はきっと無くなるんだろうな、何か確信めいた遠い将来を予測した。
現存する権威と同じ程度の信頼性を担保できる、プロックチェーン技術かしら。

個人的考察「彼女は悲しい」は「she makes me sad」か?

非常に面白いTwitterを見てしまったので、個人的考察をしてみたい。
I found out the curious question on the Twitter, So I will try to describe as native Japanese. 

「彼女は悲しい」は「she makes me sad」か?

  1. 本音と建て前(Honne and Tatemae)
    It's one of Japanese cultural issue. Japanese people will not express real intention(Honne) instead of public attitude(Tatemae) depend on situation. 

  2. 同調圧力(Dou-chyo Atsuryoku)
    It has pressure to be unified for the people should be as a person in Japan. 

 It's the common-sense the People has public attitude(建て前)base on 2( 同調圧力). People normally hide their real intention(本音) in Japan.

 

  = We cannot explain the emotions and feelings of other person in naturally. 
Because We don't know their emotions and feelings.
1 and 2 から、「彼女は悲しい」という表現が不自然に感じる。本当に彼女が悲しいかどうかは私達は分からないから。


= So, If we try to describe emotion and feelings, We will use "seems", "supposed to"," I guess", "Maybe", "I'm sure" etc..
彼女は悲しそう、悲しいのだ、悲しいかも、悲しんでいる、悲しいんだろう、等...


Example for ”彼女は悲しい”
彼女は、一度もダイエットに成功したことがない。
(She has never been on a successful diet.)
また、新たなダイエットグッズを買う彼女は悲しい
(She buys new diet goods again that makes me sad.)

 

I think above is naturally, Usually we don't use only the sentence of "彼女は悲しい”. 
It should has some reason what kind of her make you sad. 
Or If you want to describe her emotion and feelings, We will use guessing or assertive particles usually. 

Sorry, My English is not so well...


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セブの渋滞事情(交通事情)

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 お正月のボヤっとした、のんびりした雰囲気もすっかり、打ち崩され、すっかり普通の日常に戻っている最近ですが、年明け早々、忙しくなってきております。

 

 そんな中、営業中心の私は、やはり打ち合わせ何だと、マクタン島の事務所からセブ市内へ行く事が多々あります。特に、最近イライラするのは、本当に渋滞がひどい事。今まで1時間もかからず行っていた場所が、2時間、時には3時間と全く時間が読めないくらい、渋滞がひどくなりつつあります。

 数年前までは、車のローンがなく、現金払いのみだったフィリピンでは、車はお金持ちのステータスでした。(今もその傾向はあります。)しかし、数年前より、車のローンが始まり、比較的小金持ちや中流庶民も車を持ち始めると、一気に車の台数が増え、ここ最近は渋滞が慢性化して、ものすごい事になっています。

 

 特に、夕方3時を回ると、どこもかしこも渋滞で、以前は「この辺は混むな」と予想できたのに、今では、至る所で渋滞です。例のごとく、私は渋滞に昨日はまり、重要な打ち合わせに1時間の大遅刻。。。やってしまいました。。。もう、「後半は絶対に歩いた方が早いな。。」と思いながらも、「もう、いいや。。」という投げやりな気持ちで、連絡だけは入れて、大人しくタクシーの中で悲しんでいました。

 

 庶民の足である、ジープニーやハバルハバル(モーターサイクルタクシー)、そしてバンやバス、全てが車で公共交通機関は無し。とにかく、交通網が素晴らしいのは船くらいで、それ以外はダメです。


船交通について:
7,000近くの島からなるフィリピンでは船移動が結構発達しています。
遠出するならフェリーが便利、各都市へ繋ぐフェリー便があります。
例えば、セブからミンダナオでは、夜間フィリーで11時間程度。実際飛行機だと1時間ですが、夜間で寝て起きたらつきますので、安いし以外に遅延もない。はっきり言って飛行機より疲れないです。(飛行機はしょっちゅう遅延しています。)金額は片道1,000PHP程度です。

近場でも以外に知られていないのが、バンカーボートでの移動です。例えばセブ島の田舎の方に行きたい時、バス利用が一般的ですが、現地の人は結構バンカーボートで移動します。金額は20PHP~100PHP(距離による)程度です。ボホール島等のリゾートアイランドには、ジェット便(水上ジェットというのかな?)もあり、往復で1,000PHP程度です。

 

とにかく、陸上交通網の渋滞が年々酷くなっている。何とかしてほしいですが、、道路状況は悪いし、工事始まれば1年間くらい工事してるし、信号は少ないし、信号があっても時間設定がおかしいのか、やたら渋滞ができるし。。とにかく、フィリピンセブエリアには「モノレールを作ろう!」という運動が以前からありますが、一向に始まらない。そろそろ、車では移動できなくなってきてしまうのでは?と危惧してしまうほど、酷い交通網です。

しまいには、タクシードライバーが渋滞が酷いから、追加費用払えとか、、乗車拒否とか、、「それって、私のせいですか?」という押し問答。

まあ、イライラしない、南国ですから、と自分に言い聞かせてます。セブに来た際は、あまり混み入った予定を立てない、十分にゆとりある過ぎるくらいの予定で動いた方が、良いです。

2018年の抱負

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明けましておめでとうございます。

 歳をとると、1年が早くあっとゆう間に時が過ぎてしまいます。ついに40歳を過ぎ初老を迎えたとなると、未だに中学生レベルの思考回路しか、持ち合わせていない自分に愕然としてしまう事があります。しかし、自分自身、反省もせず、のうのうと生きてしまった以上、「まあ、しょうがない。人間そうは簡単には変わらない。」という、楽観主義を自でいく生き方、がすっかり板につき、これは個性として前向きに捉えるしかないでしょう。(と、言い聞かせる毎日です。)

 

 さて、今年の抱負でございますが、個人的に計画する(ここ数年)商売案件がなんとか形になりそうなので、しっかりと現実として設立まで漕ぎ着ける事、これが大きな目標の一つです。後は、自分は大した事が無い人物の為、いちいち失敗や周りの評価は気にせず、「まず、楽しむ」事を大切にしたいと思います。

以前は、私自身、自分の能力の無さを、悲観してしまったり、他人と比べて「どうして、私には出来ないのだろう。。。」と自分に失望してしまったりしておりました。

フィリピンに来て良かったな。と思う事はこの部分です。彼らは、もっと悲しい事や、不幸な事がいっぱいあるにも関わらず、逞しく、そして朗らかです。勿論、良い事ばかりではなく、他人と比較して嫉妬したり、他人を殺すほど憎んだり、恨んだりと、ある意味、日本人より感情的な部分もあります。でも、まるでフィリピンの気候のように、激しさの中にも、カラッとした軽快な部分を多分に感じます。物事に固執するのに、時間的な固執はなく、何か引きずらない「潔さ」のようなものを感じます。

 こちらに来て、数年を過ごし、奥さんと仲良く(喧嘩しながらも)過ごし、子供は無邪気に日々成長してくれます。自分は失敗しながらも、日々新たな挑戦がこの歳で出来ている事が、幸せだな。と本当に感じる日々です。それも、フィリピンの気候と風土の中に、身を置く事で、自分もどこかフィリピンナイズされつつ、日本人の意識は持ちながらも、反省せず、少し図々しくなって「ま、いっか。」と時をやり過ごす事ができる能力を持った事、と言うと、少し大げさでしょうか。その、漠然とした未来に対する不安は、人間全てが持つ共通の悩みなのでしょうが、また同時に、いつまでも付いて回る悩みであり、そこをフォーカスしていてもしょうがない、「今が良ければ、それで良い」「神のみぞ知る」的な、日本人の感覚からすると、ちょっと怠惰な、その感覚を肯定できる環境が、自分に心地よい、そういう事だと思います。

 

 かと、言って、一緒に怠惰に暮らしましょう。という事ではなく、上述に戻ってしまいますが、結局、人間の能力等は限界があり、自分は天才でもなければ、努力家でも無いと。そうなると、自分の器の中で頑張って、乗り越えられなければ「未来は無いではなく」「他人に助けてもらうしか無い」というある意味他力本願的でありながらも、周りに感謝する事を忘れ無ければ、良しとしよう、という。だから、日々の生活は、ちゃんとしよう「神様見ているから。」的なフィリピン思想が板に付いてきております。

 全く「神さま」を信じていなかった私自身の最近の大きな変化は、「神さま」的な見え無い力はどこかにあるかも?と思い始めている事です。むしろ、「神さま」いるかも?、いや、フィリピンには「神さま」いるね、と変化している事です。

 

 各国共通で悪い事は重なりますが、一つ良い事があると、連鎖的に「ラッキー」が起こったりして、たまに「神さま」いるな(むむむっ、、見てるのか)と思うと、他人の目と言うより、は自分自身の目で「ちゃんとしなくては。」と思う、今日この頃なのです。この「ちゃんと」は明確なルールも無く、いくらでも言い訳ができるわけですが。。。でも、せっかくフィリピンに来て、楽しませてもらっているので、自分の思う「ちゃんと」を最低限努力し、「奥さん」と「娘」がキャピキャピしてくれる環境を構築し、そして余力でちょっと自分も「むふふっ」と楽しむ。

 それを今、「神さま」に誓います!ので、今年も宜しくお願い申し上げます。

これからの時代(日本のネット環境)

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日本にいると、あまり未来に希望が見えない、そう思われている方いらっしゃるのかもしれませんが、私は決してそうは思わないです。

私が、そう書き出したのは、何を隠そう、この自分自身がそう思い込んでいたからという事が言えます。フィリピンに来て早、4年越え、5年目に突入した現在、貧乏ながらも未来にワクワクする毎日を過ごしております。

 

なぜか、まず従前にも書いているように、未来は確実にアジアの時代です。中国を中心としたアジアが最も面白く、輝くとそう確信があるのです。確かに、日本という国内事情を見ると色々と、暗雲としたものが存在するのは確かかもしれません、ただもう少しマクロに捉えると、面白くなってきます。
中国人と言われる、13億以上の方々が、ある程度豊かになりつつあり、そしてまたインド8億と言われる方々が、それに追いつけと、経済発展していきます。ビジネスをやっていると良くわかると思いますが、どんなに良い商品を作っても、どんなに良いサービスを作っても、市場がない限りは意味の無いものになってしまいます。但し、そこに1000人でも共感者、ファン、が出来ると一気に面白い事になっていくのです。

もっと言えば、市場と一緒に作る、商品やサービス、「コミュニティービジネス」のような形態が一番、強固な繋がりを作り、そしてビジネス(商売)の本質的な意味で、合理的なビジネスになるのでは無いでしょうか?つまり、市場と作り手の距離感が短く、その「コミュニティー」が欲するものに対応していく、ビジネスモデルです。

従前にある、商社や代理店を通さず、市場が同時に作り手になる、作り手が同時に顧客にもなる、そこにあるのは「繋がり」で個々の信頼関係であり、それが「コミュニティー」です。サラリーマンのように、大きな組織に身を委ねる事は、決定が遅くなり、稟議で多数意見を伺う事で個性もなくなります。今までの、日本の会社「サラリーマン会社」(ワンオーナー会社ではなく)は益々、衰退してしまうと思います。

 

実は、こんな形態は以前にもあり、桶屋さんが、魚を買いに魚屋へ行き、魚屋が近所の醤油屋へいくのです。まさしく、以前の日本のようです。それが、大規模スーパーになり、大量消費経済になり、結果的に非合理的になってしまった。そんなところでしょうか。しかし、今後は私は逆転していくと思います。

 

これを起因するのが、ITのテクノロジーです。各Userがフォーマット上(コミュニティー?)緩く、繋がり、個々がそれぞれ、モノやサービスを提供していく、そんな事は既に始まりつつありますし、今後もその流れは変わら無いと思います。そしてこれが、チャンスだと思うのです。各個人がそれぞれ独立した個として、存在する。どこかの背景に属さ無い、今後はその事に慣れる必要があるかと思います。未だに、日本では「電通で働いています」というエリート。。。という感覚。つまり、どこの集合体に属しているかという事がある意味ステータスでありましたが、今後はより個にフォーカスして、「あなたは何をしているのか?」という、より本質的な問いの中で、相手を判断していく事になるでしょう。

ミクロの事象から言えば、「どこで働く」という事が、既にあまり意味のないものになりつつあります、これはITの進化で、私も先日フィリピンにいながら日本の口座で金銭のやり取りをしました。つまり、私の書いた文章が日本で読まれ、そうして私はフィリピンにいながら日本での取引が可能です。

クラウドファンディング等のように、お金の有る、無し、もそんなに重要でなくなるかもしれません。重要な事は、あなたの企画にどれだけの共感者(ファン)がいるのか?あなたの企画がどれほど、面白いモノか?個人的には、結局そこにフォーカスしていくかと思います。これは有る意味、万人に平等で、国籍や性差、貧富に比較的関わらず、機会が与えられている社会ではないかと考えています。

 

中々、ワクワクする社会ですね。色々なチャンスがあるし、色々な人と繋がれる。但し、前提条件としては、その大きな市場とモバイル、ネット環境と繋がる必要があります。特に、中国やインド等、のアジア各国とネット環境で繋がっていく。言語の壁は、Google翻訳の精度とともに、どんどんなくなってしまうでしょう。

ただ、不安は日本のみまだSIM Freeではない社会、実はネット環境が遅れているのは、日本だと感じています。各Net会社のSIM Lockが掛かった形態が主流です。

フィリピンでは全てSIM Freeです。SIMさえ変更すれば、どこの国の携帯でも使えます。日本行った時に困る事は、一番ネット環境です。。。

これからの時代(日本のネット環境)

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日本にいると、あまり未来に希望が見えない、そう思われている方いらっしゃるのかもしれませんが、私は決してそうは思わないです。

私が、そう書き出したのは、何を隠そう、この自分自身がそう思い込んでいたからという事が言えます。フィリピンに来て早、4年越え、5年目に突入した現在、貧乏ながらも未来にワクワクする毎日を過ごしております。

 

なぜか、まず従前にも書いているように、未来は確実にアジアの時代です。中国を中心としたアジアが最も面白く、輝くとそう確信があるのです。確かに、日本という国内事情を見ると色々と、暗雲としたものが存在するのは確かかもしれません、ただもう少しマクロに捉えると、面白くなってきます。
中国人と言われる、13億以上の方々が、ある程度豊かになりつつあり、そしてまたインド8億と言われる方々が、それに追いつけと、経済発展していきます。ビジネスをやっていると良くわかると思いますが、どんなに良い商品を作っても、どんなに良いサービスを作っても、市場がない限りは意味の無いものになってしまいます。但し、そこに1000人でも共感者、ファン、が出来ると一気に面白い事になっていくのです。

もっと言えば、市場と一緒に作る、商品やサービス、「コミュニティービジネス」のような形態が一番、強固な繋がりを作り、そしてビジネス(商売)の本質的な意味で、合理的なビジネスになるのでは無いでしょうか?つまり、市場と作り手の距離感が短く、その「コミュニティー」が欲するものに対応していく、ビジネスモデルです。

従前にある、商社や代理店を通さず、市場が同時に作り手になる、作り手が同時に顧客にもなる、そこにあるのは「繋がり」で個々の信頼関係であり、それが「コミュニティー」です。サラリーマンのように、大きな組織に身を委ねる事は、決定が遅くなり、稟議で多数意見を伺う事で個性もなくなります。今までの、日本の会社「サラリーマン会社」(ワンオーナー会社ではなく)は益々、衰退してしまうと思います。

 

実は、こんな形態は以前にもあり、桶屋さんが、魚を買いに魚屋へ行き、魚屋が近所の醤油屋へいくのです。まさしく、以前の日本のようです。それが、大規模スーパーになり、大量消費経済になり、結果的に非合理的になってしまった。そんなところでしょうか。しかし、今後は私は逆転していくと思います。

 

これを起因するのが、ITのテクノロジーです。各Userがフォーマット上(コミュニティー?)緩く、繋がり、個々がそれぞれ、モノやサービスを提供していく、そんな事は既に始まりつつありますし、今後もその流れは変わら無いと思います。そしてこれが、チャンスだと思うのです。各個人がそれぞれ独立した個として、存在する。どこかの背景に属さ無い、今後はその事に慣れる必要があるかと思います。未だに、日本では「電通で働いています」というエリート。。。という感覚。つまり、どこの集合体に属しているかという事がある意味ステータスでありましたが、今後はより個にフォーカスして、「あなたは何をしているのか?」という、より本質的な問いの中で、相手を判断していく事になるでしょう。

ミクロの事象から言えば、「どこで働く」という事が、既にあまり意味のないものになりつつあります、これはITの進化で、私も先日フィリピンにいながら日本の口座で金銭のやり取りをしました。つまり、私の書いた文章が日本で読まれ、そうして私はフィリピンにいながら日本での取引が可能です。

クラウドファンディング等のように、お金の有る、無し、もそんなに重要でなくなるかもしれません。重要な事は、あなたの企画にどれだけの共感者(ファン)がいるのか?あなたの企画がどれほど、面白いモノか?個人的には、結局そこにフォーカスしていくかと思います。これは有る意味、万人に平等で、国籍や性差、貧富に比較的関わらず、機会が与えられている社会ではないかと考えています。

 

中々、ワクワクする社会ですね。色々なチャンスがあるし、色々な人と繋がれる。但し、前提条件としては、その大きな市場とモバイル、ネット環境と繋がる必要があります。特に、中国やインド等、のアジア各国とネット環境で繋がっていく。言語の壁は、Google翻訳の精度とともに、どんどんなくなってしまうでしょう。

ただ、不安は日本のみまだSIM Freeではない社会、実はネット環境が遅れているのは、日本だと感じています。各Net会社のSIM Lockが掛かった形態が主流です。

フィリピンでは全てSIM Freeです。SIMさえ変更すれば、どこの国の携帯でも使えます。日本行った時に困る事は、一番ネット環境です。。。