フィリピン ハゲ ちゃびん日記

フィリピーナと結婚し、1女を設けてしまい。フィリピンに滞在すること事を決意。既に、数年を経過。。。フィリピンから見た日本そして、日本人から見たフィリピン。何が正しく、何が間違いなのか、混沌する世界をさておき、ひたすらに、文化の違いに悪戦苦闘する日々を綴る

フィリピン独り言4

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国会が紛糾している様子だ。とは言っても、ネットの中だけなのかもしれないが、実情は良くわかっていないので、あしからず。

 

この私も、政治事にはあまり興味がないまま、大人になってしまったクチで、何か腫れ物に触るように、政治は口にしなかった。サラリーマン時代には営業マンは、「政治の話と宗教の話はご法度だよ。」と先輩から言われていた為、そこには自分の思想性を育む事はしてこなかった。

単純に、法令改正があれば、その部分は勉強し、商品や市場に影響があるかどうか、また逆に商機が新たに生まれるかどうか、そういうモノの見方だけは長けていくようになった。今思う事は、それが間違えだった。

 

私にとってというより、日本という国にとって。

やはり、海外に住むと思うのは、政治はその国民の鏡である。

フィリピンで言えばドテルテ大統領という、凄腕(?)の剛健な政治家が現れた。彼らは、既存の政治を壊す事を求めていた、常に求めていたが、どの政権もあっという間に、権力に溺れ、搾取する側に回った。ドテルテという稀有な人物が、強引にもフィリピンを変えてくれると思っている人間は山ほどいるし、私もやり方がどうであれ変化を少し実感している。

 

森友学園問題」で物議を醸し出した、「教育勅語」を原文と現代語訳を読んでみた。まず、知らないと何も言えないと思ったから。この中で、人々は臣民(皇民、天皇に忠誠誓う民)として、忠義を尽くし、正義の為に生きることを誓う。そして、親孝行し、友人兄弟を大切にし、他人にも博愛の手を差し伸べる。憲法や法律を重んじよ、という記述もある。

私のような無知な人間からすると、確かに天皇の為に勇気を持って運命を捧げよ。という文言も出てくるが、それ以外は至極真っ当な文言のように思えた。

 

その次に出てくる疑問である。これらを推進する方々は、本人様方も生きることに対して、この文言を念頭に置き、暮してらっしゃるのか?ということである。

今の政治家の方々は、他人にも博愛の手を差し伸べ、公共の利益の為には、自分の全てを投げ打ってでも、正義の為に尽力されてらっしゃるのか?

韓国人や中国人を蔑視する事が博愛というのか?

 

まともにご飯を食べられない子供達、お金がなくて行けない大学。親の介護で疲れてしまっている人々。目の前の数値を日々追い、気づいたら子供が大きくなってしまったサラリーマン。その方々に、さらなる公共の正義を求める正義とは何ぞや。

正義という言葉は簡単に言えるが、一体、正義とは何なのか?

今、求められている答えはそこにある気がしてならない。

 

日本の伝統とは、私には難しくて、説明が難しい。

ただ一つ分かる事がある。フィリピンでは投資家とマネージャーは違う、アメリカ式だ。社長がオーナーである事は少なく、社長は投資家から運営を任された、責任者でしかない。成果主義であるがゆえに、組織への忠誠心はない。

 

祖父はダンボール工場の経営者だった。従業員よりも遅くまで、積み上がったダンボールの角を合わせていた記憶がある。「上に立つ人間が、一生懸命真面目に、一番働かないと誰もついてこないんだよ。」