フィリピン ハゲ ちゃびん日記

フィリピーナと結婚し、1女を設けてしまい。フィリピンに滞在すること事を決意。既に、数年を経過。。。フィリピンから見た日本そして、日本人から見たフィリピン。何が正しく、何が間違いなのか、混沌する世界をさておき、ひたすらに、文化の違いに悪戦苦闘する日々を綴る

フィリピン料理

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(写真はフィリピン名物、豚の丸焼き「レチョン」)

正直言って、フィリピン料理は甘くて、塩っぱい。

美味しいフィリピン料理は無い事はないが、出会うのは非常に難しい。特に、日本人にとっては味が濃すぎると、個人的には思います。

 

しかしながら、ご飯を食べない訳にはいかないので、食べます。

いつも、日本食レストランに行けるほどリッチでもないので、会社の食堂で済ませる事がほとんど、私の会社は教育事業関係で宿泊施設も完備している専門学校としての機能もあります。その為、食堂も併設されております。

 

日本のお子様、やはり口に合わなかったようで、「不味くて、食べられなーい。」可哀想に。。。当社の食堂はお客様には無料での提供の為、決して美味ではないですが、まあ、まあ、それなりに食べられると、個人的に思っていましたが。。。すみません。

 

心配にもなったので、近くの日本レストランをご案内させて頂こうと、説明していると。「いくらぐらいですかね?」私は「一人1,000Phpくらいでしょうか。約2,500円程度ですね。」と返答。

 

「高いですね。もう少し安くて美味しいとこ知らないですかね?」

 

ここからは、愚痴になりますが。。。

フィリピンでは安くて美味しいものはありません、高くて美味しいものはありますが、安いものは全てマズイのです。確かに、日本は吉野家もラーメン屋も定食屋も立ち食いそば屋も、どれも安くて美味しく。フィリピンの高い日本食レストランよりも全てにおいて、クオリティーが高い。凄いことです。

こちらの日本食レストランは高級レストランの部類に入るので、どうしても若干高め。日本の定食屋みたいなのはありません。

 

その意味では日本は食文化世界一(私は日本人なので、かなり贔屓目ですが。)だと思います。しかし、日本の常識を諸外国に持ち込んで、ご立腹されても私は困ってしまいます。

 

「こんなもの、毎日、子供に食べさせるのですか?」

「栄養のバランスも考えられていると思えません。味は濃いし。。。」

確かに、栄養のバランスやカロリー計算などは、皆無。お子様方にとって、健康に良くないかもしれないです。それこそ、そのようなオーガニックレストランもあるのですが、それは高いし。。。私も返答に窮してしまいました。

 

そんな中、うちの「奥さん」と娘が食堂で、山盛りよそって、「むしゃむしゃ」娘は手づかみで「むしゃむしゃ」。「奥さん」が手づかみを叱っていますが、一向に辞めません。口の周りにフィリピン料理まみれにして、笑顔。

 

顧客様、そんな様子を見て笑ってしまいました。

「とりあえず、なるべく子供に食べるように促してみます。どうしても食べないようでしたら、日本食レストランにでも行ってみますわ。」

 

「ありがとう。」娘よ。お父さん助かりました。

日本は素晴らしい、でもそれだけでは伝わらない。

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海外に住む、あるある。

やたら、日本の事を考える。

 

日本に住んでいると、わからなかった事は山ほど見えてくる。日本の素晴らしさ、日本の文化の特殊性、日本人の面白さ。

 

「奥さん」は日本人を見かけると、いつも笑う。「あ、日本人だ。ふふふっ」

私には日本人も、中国人も、韓国人も、台湾人も、歩いているだけでは分からない。勿論、実際会話をしてみれば、認識できるが遥か50m先の黄色人をみつけて判別は難しい。

 

会議でCOO ( Chief Operation Officer :役職の偉い人)が私を見て笑う。「Huhuhu, Japanese」私の会社の日本人は私だけ。やたら、簡単にパンパン発言する中で、私一人リスクによる危険性を語っていた。

 

「奥さん」は歩き方で日本人とすぐ分かるそうです、ガニ股の人が多いらしい。

そうかな?。。。

娘が生まれた際も、まず足をチェックして必死に真っ直ぐに伸ばしていた、

「I worry about her to be same your legs...」

 

当社のCOOは、新規事業を計画する上で、リスク説明する日本人を滑稽に眺める。(すみません、そんなに慎重な性格でもないのですが、一応、日本では考えうる、ベネフィットと潜むリスクを説明するのがサラリーマンとしての必要事項と考えておりました。)

 

日本では”ズボラでマイペースなハゲ”な私が、海外に出ると、”神経質なガニ股”、になった。環境が違えば、キャラクターも変わってしまうのである。こちらじゃ、ハゲはあまり笑ってくれない。普通なのだそう。

 

英語が喋れれば、海外で働ける。これは間違えです。はっきり言えます。何人もこちらで起業を考えて、または海外進出を考えて、失敗した人を見てきた。また成功した人も知っている。

 

確実に言えること、それは人々とコミュニケーションが取れること。これは言葉の壁ではない、むしろ文化の壁といったほうが良いかもしれない。

例え、英語が流暢ではなくても、構わない。彼らと一緒に食事し、理解し、共に同じ目標を見据えられれば、ほぼ勝ちである。

いくら、流暢に言葉を使いこなしても、日本式を押し付け「こうあるべきだ。」と説いたところで、響かない。だって、生まれた環境も、考え方もまるで違うのだから。 

 

日本は素晴らしい、私もそう思う。私は朝、時間より少し早く事務所に入り、エアコンを付けて電気を付けて、ちょっと掃除をしたりもする。出社時間を過ぎて、20分〜30分スタッフが出社する「Good Morning」。

日本人程、質の高い労働者はないと思う。

一応、言っておけば、私がHead Officerである。

小島よしお風に言えば、「そんなの関係ねえ。」

 

日本との違いを知って、そして”私”が彼らに寄るのです。

ココロ

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Youtubeで国会を見る。今、私が密かにフィリピンで楽しみにしている趣味である。仕事をする”ふり”だけはサラリーマン時代より、体得してきた。

 

森友学園問題」のみならず、「加計学園問題」でも質問されている安倍総理大臣、ここに来て一気に疑惑が噴出した様子だ。

稲田防衛大臣に関しては、森友学園側の顧問弁護士をしていたとか、していないとか、偽証疑惑も浮上し、議会は紛糾。

さらに、スーダンからの自衛隊撤退をこのタイミングで政府は決めたようだ。これを、森友問題隠しと指摘する声もあるようだ。

 

以上が、私のネット情報駆使したフィリピンからの日本政情観察結果である。(すみません、所詮この程度です。)

 

外から見た日本の情勢。

私の主観満載で考えると、”政府はその国民の鏡”です。

”権力者”と言うと、物凄い強そうですが、”権利者”が必要以上の権利を求めるという事ではないでしょうか。「何とか会議」の方も言っていた、「日本人が忘れてしまった、”公共へ付する姿勢”を思い出せ。」のように、実際それを口にしている方々が、自分の権利を異常に拡大し使用する。自己矛盾。

右でも左でも、皆んな須らく、我々の美徳を無視してしまった、美徳と言うと堅苦しいですが、倫理、モラル。そして、ココロ。

 

政治家は恣意的に法律を解釈するべきではないし、経営者は利益追求も大切だが従業員の家族を背負う覚悟も必要だ、より大きな責任を伴う。人は機械ではないので時には労いの言葉もかけるべきだし、何より経営者が得た利益を共有する姿勢がなければ、人はついてこない。

いかに、自分がお客様でも感情むき出しにぶつけて、相手を困らす事は、正当な”権利”だとしてもみっともない。

電車が遅れたのを、運転手さんに詰め寄る。アルバイトを罵る。障害者を馬鹿にする。原発被害の被害者は、まだまだ以前の生活に戻れていないのに、子供同士で虐める。生活保護受給者を税金泥棒と呼ぶ。韓国の方、中国の方を国籍で非難する。

 

色々な事象に、色々な状況があるはずなのに、背景知らぬままカテゴライズして誹謗中傷を繰り返す。他人の感情は無視する。慮る事を忘れる人。思慮浅い人が増えたのかな?自分の事で頭いっぱいで他人はどうでも良いのかな?自分が儲かれば、得をすればそれで良いのかな?

 

「強きをくじき、弱気を助ける」日本のヒーローはこういう人間だった。

「起きて半畳、寝て一畳、天下を取っても二合半」天下の将軍も質素な生活。

「売り手よし、買い手よし、世間よし」

近江商人は売り手、買い手のみならず、商売が地域社会に貢献しなければならないとしていたようですね。

「奥さん」がケータイ売っちゃった2

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常に物事は良い事と悪い事は、両立してしまう。

これは、自分のちょっとした人生での教訓です。

 

ケータイ売っちゃった「奥さん」は今日も、シコシコ新しい携帯にアプリをダウンロードに忙しい様子。でも、何だか楽しそう。。

 

そんな景色を眺めていると、「まあ、いっか。。」となってしまう私がおります。

 

1歳にも間近になり、絶え間なく動き回る娘に、新しいケータイに触れるな!と叱りつけておりますが、そんなに厳しくしなくても良いだろう。。。元々、自分が売ったくせに。。。と思います。

 

私が娘スッと抱き、「奥さん」より離しても、娘はそんな厳しい「奥さん」が大好きで、怒られても怒られても、近寄っていきます。

 

ついに、「Saba oi, Bad man ka oi」(悪い子ね、うるさいわ!)「奥さん」怒ってしまったようです。ここは、父として仲裁に入るところだと判断して、

「Just she has curious for that, No need to up set too much.」奥さんに伝え、そっと娘を抱こうしたところ。。。

「No, If you spoil me, She cannot follow me!」(あなたが、私の言う事をおざなりにすれば、娘は私の言う事を守らないわ。)と怒られました。

 

私は、黙って娘をそこに置きました。きっと娘は訳もわからず、怒られているのだろうと想像しながらも、その後、とうとうと娘に教育的指導を行う「奥さん」を横目で見ながら、心の中で「ゴメン、娘よ。今はママの言う事を聞いたふりをしてください。」

 

ケータイを売った事件発覚より数日、それはそれで、生活に新たなトピックが生まれ、結果的に良かったのかな、と思う今日この頃です。

「奥さん」がケータイ売っちゃった。

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フィリピン妻を持つとよくある出来事。

親戚関係がお金がなくなると、またはお金に困ると、「お金を貸してくれ」。

 

私の”奥さん”の実家はそれほど貧乏な家庭でもなく、椰子の油の小さな工場を経営している、しかし最近は運営もうまくいってないようで、工場を売りに出すとの話は聞いていた。

 

今、工場を売りに出しているそうだ。

嫌な予感がしたが、予想通り”奥さん”より「妹の学費が払えないようで、お金を貸して欲しい」とのコメントが。。。

 

人によるだろうが、私の考え方として、一度貸してしまうと、次回から断る理由がなくなる。まず返ってはこない為、一度仕送りが始まってしまったら覚悟が必要だ。

 

それに、「何で貯金しないんだ。」という日本人として当たり前の思い。以前はそれなりに羽振りの良さそうな暮らしぶりだった。

結果私は、”奥さん”にしかとされたり、険悪になりながらも、頑なに断った。

 

そしたら。。。。1週間後。。。

 

”奥さん”の携帯がない。ちょっと仕事の都合で帰宅を遅くなる旨を伝えようと、鳴らしたが鳴らない。どうしたんだ?と訝知りながらも、帰宅する。

「Sorry, Late arrival. But I don't know why I cannot approach your phone..」

その夜、涙ながらに”奥さん”は告白する。

 

I’ve sold my phone. That’s why...」

 

繋がらない訳だ。

 

3,000Phpで売ったらしい、そして家族にそのお金をを送ったらしい。(1,000Php =約2,500円)私は頭を落とす。何なのだろう、この人達は。

翌日、新しいが型遅れのI-phone5を買いに行った。大分安くなってても約8,000Php。

 

この人達はバカじゃないのかと思う。だったら3,000Php渡した方が、ずっと安上がりである。ショッピングモールの帰り道、"奥さん”は言う「Don't tell my mother. She doesn't know about it.」

 

”奥さん”は私にお金の無心することを諦め、自分の携帯を売ったが、それを家族には知らせていないらしい。”奥さん”曰く、お母さんに心配をかけたく無いとの事。。。実に立派な心がけだ。

 

私の心配事は増えるばかりである。。。

フィリピン独り言5 (中庸)

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海外で暮らすと、良く分かる事。

日本人は世界一、は間違いです。それぞれの民族、国民が、それぞれプライドを持って生きている。それは、フィリピンであっても同じ。

 

愛国心や誇りは大切だと思うが、それに囚われていると、周りが見えなくなってしまう。ひたすらに、批判を繰り返し、こちらの方が凄いという思い込みが続く。外から見ると、それは非常に滑稽であり、社会が硬直化する主要因ではないかと考えてしまう。

 

日本人は元来、誇り高く、愛国心の強い民族だったのでしょうか?

これには、私は疑問を持っています。元々、日本人が持っていたのは、郷土愛であり、愛国心とは似ているが少し違うと思う。そこには、経験に裏打ちされた、郷愁があり、良い部分、悪い部分も含めて懐かしむ。

 

日本の長い歴史は他国との、熾烈な争いの中にあったわけではない、日本人は、遠い昔より朝鮮より鉄器製造を習い、磁器製造を習い、儒学を習い、中国よりは文字を輸入し、仏教を輸入した。それを、日本風にアレンジしていくことで日本人の文化は作り上げられてきたのではなかろうか?

そこには、最近流行りの「日本スゴイ」の思想ではなく、謙虚に他国より学び、ただ取り入れるのではなく、日本へ適した形にてアレンジを行い、日本風に昇華させてきた。これは、車においてもラーメンにおいても、同じ事が言える。ひいては、オリジナルを凌ぐ程のクォリティーを完成させる、結果としてスゴイという事になったのでは?

 

謙虚な姿勢で、他文化より学び、郷土を愛するがゆえ、郷土へアジャストする形でアレンジしていく、それによって今が作られ、新たな日本風を創造した先人に敬意を表する。それが、日本文化であるのではと最近考える。(フィリピンでは、時間がゆっくり流れるので、考える時間は山ほどある。)

 

今の情勢を振り返る。

秒単位で株価は上下し、情報はあっという間に世界中を網羅する。グローバリズムが否応なく世界を覆い、時間が猛スピード進み、人は付いて行くのに精一杯になっていく。スマホ等のモバイルがなければ生きていけない。そこで誰かが叫ぶ「昔は素晴らしかった」。グローバリズムに対抗するような極端な復古主義民族主義が、「元来、我々は素晴らしい民族だ。」と民衆を鼓舞する。

 

そして敵は、「シナ」だ「チョウセン」だ。

本当でしょうか?もしかしたら、敵はわたくし達の心の中にいるのかもしれません。

 

中庸:論語の一説(難しい概念で説明が難しいです。)

平常の感覚。平均をとるという事ではなく、過不足なく、偏りのない。

 

 

 

フィリピン独り言4

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国会が紛糾している様子だ。とは言っても、ネットの中だけなのかもしれないが、実情は良くわかっていないので、あしからず。

 

この私も、政治事にはあまり興味がないまま、大人になってしまったクチで、何か腫れ物に触るように、政治は口にしなかった。サラリーマン時代には営業マンは、「政治の話と宗教の話はご法度だよ。」と先輩から言われていた為、そこには自分の思想性を育む事はしてこなかった。

単純に、法令改正があれば、その部分は勉強し、商品や市場に影響があるかどうか、また逆に商機が新たに生まれるかどうか、そういうモノの見方だけは長けていくようになった。今思う事は、それが間違えだった。

 

私にとってというより、日本という国にとって。

やはり、海外に住むと思うのは、政治はその国民の鏡である。

フィリピンで言えばドテルテ大統領という、凄腕(?)の剛健な政治家が現れた。彼らは、既存の政治を壊す事を求めていた、常に求めていたが、どの政権もあっという間に、権力に溺れ、搾取する側に回った。ドテルテという稀有な人物が、強引にもフィリピンを変えてくれると思っている人間は山ほどいるし、私もやり方がどうであれ変化を少し実感している。

 

森友学園問題」で物議を醸し出した、「教育勅語」を原文と現代語訳を読んでみた。まず、知らないと何も言えないと思ったから。この中で、人々は臣民(皇民、天皇に忠誠誓う民)として、忠義を尽くし、正義の為に生きることを誓う。そして、親孝行し、友人兄弟を大切にし、他人にも博愛の手を差し伸べる。憲法や法律を重んじよ、という記述もある。

私のような無知な人間からすると、確かに天皇の為に勇気を持って運命を捧げよ。という文言も出てくるが、それ以外は至極真っ当な文言のように思えた。

 

その次に出てくる疑問である。これらを推進する方々は、本人様方も生きることに対して、この文言を念頭に置き、暮してらっしゃるのか?ということである。

今の政治家の方々は、他人にも博愛の手を差し伸べ、公共の利益の為には、自分の全てを投げ打ってでも、正義の為に尽力されてらっしゃるのか?

韓国人や中国人を蔑視する事が博愛というのか?

 

まともにご飯を食べられない子供達、お金がなくて行けない大学。親の介護で疲れてしまっている人々。目の前の数値を日々追い、気づいたら子供が大きくなってしまったサラリーマン。その方々に、さらなる公共の正義を求める正義とは何ぞや。

正義という言葉は簡単に言えるが、一体、正義とは何なのか?

今、求められている答えはそこにある気がしてならない。

 

日本の伝統とは、私には難しくて、説明が難しい。

ただ一つ分かる事がある。フィリピンでは投資家とマネージャーは違う、アメリカ式だ。社長がオーナーである事は少なく、社長は投資家から運営を任された、責任者でしかない。成果主義であるがゆえに、組織への忠誠心はない。

 

祖父はダンボール工場の経営者だった。従業員よりも遅くまで、積み上がったダンボールの角を合わせていた記憶がある。「上に立つ人間が、一生懸命真面目に、一番働かないと誰もついてこないんだよ。」