フィリピン ハゲ ちゃびん日記

フィリピーナと結婚し、1女を設けてしまい。フィリピンに滞在すること事を決意。既に、数年を経過。。。フィリピンから見た日本そして、日本人から見たフィリピン。何が正しく、何が間違いなのか、混沌する世界をさておき、ひたすらに、文化の違いに悪戦苦闘する日々を綴る

外から見る、日本の政治事情

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国会で共謀罪が成立したようだ。フィリピンにいると何のトピックにもならない、むしろ彼らにはISILの動きの方が重要だ。

私は、日本人の為、こんなニュースにも、ただ触れているだけだ。結論からいうと、悲しい。母国を憐れむ意味で悲しいのだ。

日本だけではない、各国が政治不信になり、選択肢がないと嘆いている。人々は消去法で選択した気になり、嘘か本当か分からないニュースに一喜一憂する。外にいると感じる事の一つに、「何か世界的なトレンドはある」のである、これは誰かが決めているのではなく、人々が起こす”波”のようなもので、伝播するように広がり、大きなムーブメントとなる、まるで経済のバブルの周波数のように、寄せては引いて繰り返す。

ブッシュJrが大統領になり、イラク戦争が始まった。結果的に、根拠、大義名分が不確かまま、始まり、当初の其れは嘘であった。それからではなかろうか、”権威”に対する信頼は失われ、9.11をニューヨークは経験するのである。
その後、愛国法が制定され現在の対テロ戦争へと火種は大きくなっていった。アメリカのみならず、テロは拡大していき、ヨーロッパ、今やアジアでも起きている。結果として、対テロの戦いはテロリズムを大きくした。その後、日本でも対テロ対策として「共謀罪」が成立したのだ。

”権威”が失墜し、信頼し得るものがなくなると、人は不信感を募らすのだろうか?1強支配がなくなると、互いの不信が生まれるのか?それとも個の承認欲求の拡大?社会心理学としては面白いテーマかもしれないが、現代を生きる自分としては、世界の今のムーブメントには非常な危険を感じる。

 

全てが人々の理想とは逆に流れている。本当は戦争など、ない方が良いのに、必要悪な自己保身(軍隊)力は必要だと言える方が、現実的な意見として映る。それは、世界各国の不信感にある。互いに、信頼し合える物差しがなくなったのであろう。それと同様の波が、日本社会へも伝播し、監視される事が生活の安全の為に、必要と考えたのであろう。

話し合い、全てにおいて共通の価値観と物差しが本来必要である、その土台に乗って条約や交渉が必要になってくる、その、あるようで無いような国際ルールというものが、アメリカに恣意的に利用され、その策を後追いするように、あらゆる法律を恣意的解釈する事が日本では現政権下で一般化してしまった。法律の前に真摯である事を忘れてしまっては、民主主義は成り立たない。

「私は、安部さんに反対だったと。」それは言っても、もう遅い。既に、そちらに流れた、そして、「これは私を含め日本国民の責任である。」だから、悲しい。

世界が利己的になり、互いの不信感を煽り、断絶していく様が痛々しい。それは、日本社会にも明らかに浸透していっている。