フィリピンの歴史から眺める日本1
フィリピンは敬虔な、カトリック信者が80%もいる、比較的原理的なキリスト教国家です。これは、スペインの植民地統治からの流れです。
でも、意外に知らない人が多いのは、スペイン占領前は元々はイスラム教徒が多く住む、イスラム共同体の要素が強いエリアでした。(マレーからの住民)
つまり、その頃よりモロ族のモロ・イスラム戦線は植民地支配と戦いを行っており、既に300年以上戦っているという単純計算が成り立つ。(1521年マゼラン上陸)
スペイン占領時代には、イスラム勢力がフィリピンエリアにおいて、大きな主要勢力であったにもかかわらず、現状はカトリック信者が80%を越す、敬虔なカトリック国となっている。
外圧からの文化や価値観を強要されることは、その後の未来に大きな影響を受ける。例えば、日本の行った韓国併合は、未だなお、日本、韓国に遺恨を残す形になっているし、韓国という国の設立意義にまで昇華してしまっている。
しかし、フィリピンにおいては、これだけの文化、価値観の強要、外国からの収奪があったにもかかわらず、外圧に習う形で現在ではカトリックが80%であり、アメリカ植民地支配の影響より、公用語は英語で、公的な文書は英文化されている。
これは、やはりスペイン統治前にはフィリピンの歴史と呼ばれる、一つの個体としての概念が弱く、フィリピンの歴史はスペイン統治より始まった為と考える。
つまり、元々、数々の王国(マギンダナオ王国やスールー王国、マニラ王国)が中世では都市国家のように、ある緩い共同体であったのが、スペイン占領によって一気に国家という形に改変された為、初めてフィリピン国という概念が創造されたのである。
ここに、日本との大きな違いを感じる。日本でも数多くの渡来人と呼ばれる人々が日本の文化に新たな、創造を加え発展してきたが、地域差はあっても何か共通の価値観で日本は括られている感じがする。つまり、強制的に外圧による変化を生じさせられた、というよりは自ら進んで、”外国の物”を積極的に取り組む姿勢が圧倒的に強く感じる。
日本が主体になり、外国文化を取り入れるには、主体となる日本に確かな共通の価値観が必要になるのである。それとは一体何なのか?
日本という価値観とは何なのだろう?
ここに、昨今の戦前回帰運動や、政治の右旋回の原因があるような気がしてならない、つまり日本人が忘れてしまった、”日本人としての価値観”を戦前の皇国史観に求めている気がするのだ。
本当はもっとずっと深い気がするのだが。