フィリピン ハゲ ちゃびん日記

フィリピーナと結婚し、1女を設けてしまい。フィリピンに滞在すること事を決意。既に、数年を経過。。。フィリピンから見た日本そして、日本人から見たフィリピン。何が正しく、何が間違いなのか、混沌する世界をさておき、ひたすらに、文化の違いに悪戦苦闘する日々を綴る

夏休み!「フィリピンで楽しくやるコツ」

 

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やってまいりました、忙しい季節。セブ周辺ではやはり主要産業は観光という事で、この夏休みシーズンが最も繁忙期。どこも、かしこも忙しくなる季節です。既に、ほとんどのホテルは予約いっぱい状況で、僅か2ヶ月のこの時期に全ての収入を集約させます。頑張るぞ!

中国人も台湾人も、日本人も韓国人も夏休み。アジアのスケジュールは似たり寄ったりなんですね。ラマダンの影響で6月末日にテロがあるという、噂は飛び交っておりましたが、無事にその日も過ぎ去り、平穏な日々が続いております。

補足として、セブは別に治安が良いわけではありません、元々。。。エリアによっては危険な場所もあるので注意は必要です。例えば、セブ市内のコロンエリアは夜は絶対行ってはいけないです。。。一つ言える事はテロがミンダナオであったからと言って、昨今、治安が悪くなっているていう事はないですよ。という事で注意は必要です。

 

[フィリピンで楽しくやるコツ]

 

まず、大切な事は、イライラしてはダメです。でも、イライラします。ショッピングすればスーパーマーケットのレジの列は、とても長く、果てしない。マクドナルドですら待ちます。もうこれは、スローフードです。そして誰も急がない。時間には余裕を持った行動が必要です。ホテルで何か破損があって、修理を呼んでもなかなか来てくれません。修理しても、また破損。本当に直したのでしょうか?という疑問が出てきます。

先ほども、日本のお客様が私のところに来て、洗面の水がポタポタとずっと垂れているようで、修理を依頼したとの事。そしってスタッフから「直りました!」の良い返事。お客様へは「直ったみたいです。よかったですね、本当にお手数をおかけ致しました。すみません。」と軽く、会釈して立ち去ろうとしたら、、、、。

 

お客様「実は、先日も修理依頼して、”直った!”とスタッフの方が言っていたのですが、1時間後にこの状況。既に2回修理してもらっていて、今回3回目なんです。。」

 

私「えっ。そうだったのですね。大変申し訳ございません。私が把握しておりませんでした。。。」「それでは、仮に今回、直っていなければお部屋を変えましょう。本当に申し訳ございませんでした。」

 

そんなやり取りをした後に、スタッフと話します。

「already you have fixed 2 times before?」

「Yes, but its easy to fix. No problem.」

はい、皆様、理解しましたでしょうか?簡単に直るものであれば、既に2回も、なんで修理してもまだ直っていないのでしょう?これから、読み取れる事は「たぶん修理が難しい事例でなのでは?」と読み解く、フィリピン読解力が必要です。

 

次にする事は、勿論別のお部屋の用意です。そのまま、彼らのいう事を真に受けず、背景から推察する能力が必要になります。彼らは、返事だけは良いのですが、ネガティブな意見を他人に言う事は苦手です。

(ここを察する能力。イライラせずに、次のステップを踏む能力が重要になります。)

早速、私は別の部署に別のお部屋の手配をお願いします。

 

私「Could you prepare another room for the Clients?」

フロントスタッフ「Now we’ve done to fix, right?」

私「But we are not sure to fix completely, I'm worry to happen again.」

フロントスタッフ「But we don't have any available room sir..」

私「I see..., ok You can use my room at least we cannot fix it.」

フロントオフィス「Ok, sir」

 

早速、私が部屋の移動をする事になりました。「なぜ?」と思っては負けです、イライラしないです。イライラしないです。

荷物を詰めましょう。結構重いですね。運ぶのも結構大変そうです。スタッフは楽しそうにおしゃべりしてますね。ハウスキーパーは楽しそうに歌いながらお掃除ですか?。南国ですね〜。一回では運べないかな〜、何往復するかな。。。。。

 

「ふざけんな〜、お前らのせいだ!!何でお前らはそんないつもHappyなんだ!」

 

はい、すっきりしました。

セブは良いところ、是非一度!!

バニラエアと加計問題

 

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日本からのお客様から、日本の情勢を伺う事が多い私。後はインターネット。どうしても空気感みたいなものを感じたく、ついつい色々と聞いてしまう。

メディア媒体よりも、人と話す方が主観が入り正確ではないはず、と思っている方がいるかもしれませんが、当方からすると人から聞く話の方が空気感、実感がある。特に昨今「フェイクニュース」なる言葉も氾濫し、メディア自体の信頼性も瓦解してしまった。AIが人から仕事を奪う、という見出しに、日本の労働者人口の減少の問題が目前に迫る、という見出し。

バニラエアーで障害者の方が、車椅子での昇降を拒否され、自力であがるという記事を見ました。コメントを見ると、バニラエアーを非難する以外にも、事前に説明をしたバニラエアーに同情の声があがり、「これだから障害者ワガママだ、格安LCCに乗るな」「対応できる会社を選び、選択するべき」という意見もあった。

 

1、立ち位置を変えた論理的思考の欠如
人の視点は、100人いれば100通りの視点があって当然である。それは、お1人様に2個、目があり、合計200個、全く別の位置にある。2つとして同じ場所、時間に存在する事はない。至極当然であるが、まずこの事実を受け入れられない方々がいる。

その事実を受け入れられないとは、意見を言う人、社会を非難する人、を差しているのではありません。むしろ、それらの声に耳を傾け、論理的に会話する、問題点を論理的に整理するコミュニケーション方法の劣化を言っています。

営業職で働いた経験があれば、法人向け提案営業をやれば必然的に経験する事、それは”何が、双方の利益になり、不利益やリスクはどこにあるのか”という論点の整理と交渉です。論点の整理ができていなければ、交渉は難しく、特に交渉立会者が複数いる場合には論点の整理ができていなければ、まとまりません。

私は社会も同じ仕組みと捉えております。正当性を主張するのみであったり、権威性や規範、ルールを盾に頑なに認めない等は、ある意味、交渉術の部類で、本質的な論点を明確にする事を避ける為に使われる技術です。勿論、民間企業間であれば、不利な状況を覆す為、そのような技術を使い、何とかよりよい条件を獲得する努力は日常的に行われます。しかし、これが政治になってしまうと論点が見えないまま、ある方向へ誘導する技術であり、これは民主主義(選挙民が決定権者)でなくなってしまうのです。

 

2、現在の政治の劣化とは
まず、第一に我々が目を背けてならないのは、我々の政治への認識の低さが、現在の政治状況を映しているのであり、「参政権」のある国民全体の問題である事です。政治家を批判する事は、同時に我々自身への批判であり、むしろ「自己反省」をしているという側面(勿論、全てがと言うわけではないですが)もある事を認識しなければ、民主主義の本質から外れてしまいます。それが、我々が「参政」した結果なのです。

つまり、「政治の劣化」は、民主主義である以上、「国民の劣化」と同義語になる、むしろ民主主義である以上、ならざる得ない、と表現しましょう。

そして第2が、前述した私が考える「コミュニケーション能力の劣化」です。コミュニケーションとは何なのか?漠然とした抽象的な単語に「ボヤっと」してしまいますが、言い換えれば、上記に記述した「立ち位置を変えた論理的思考の欠如」です。もっと、分かり易く言えば、「相手の目に変え、そして自分の目との距離を把握し、”ギャップ”と論点はどこに、どの程度あるのか?」それを把握する能力です。

例えば、バニラエアーの件であれば、「あなたが障害者であれば、心身の障害を理由にLCC航空を利用できない」という事象にどう論理的に解釈するか?という事です。障害者であるから他人に迷惑をかける、それなりの補助(人件費や設備費がかさむ)が必要になるという事は会社側の視点です。利用者側に立てば心身の障害を理由に搭乗を拒否される事は障害者差別と捉えるわけです。論点を整理すれば、格安航空はオペレーションの効率化(人員配置含め)で安いチケットを可能にしています。それによって排除される人々(想定されないマイノリティー)は健常者同様にLCC航空の利益を享受したいと思うのは当然で、身体的な事象から選択肢が狭まる事は避けたいでしょう。

この場合、論点は「身障者が健常者同様にLCC航空を利用する事での公共の利益/社会全体の利益は?」と言う事になります。

 

3、政治プロセスの重要性

憲法にもある、「公共の利益」とは何なのか?「私的な利益に対し、社会全体の利益を表す」(コトバンクより)。
バニラエアーの件を例題として言えば、私企業の為、当然私的な利益を優先した結果であって、はっきり申し上げれば、非常にシンプルな解りやすい結論という事ができるかと思います。勿論、一つ一つの事象に対する決定権は私企業である以上、「法律」の範囲内で決定する事ができます。前記の事象は違法ではないし、私自身バニラエアーを悪者にするつもりもありません、ただ現実、論点は存在し、それに対し排除される人々が現実存在し、その訴えに対し、私自身は耳を傾けるべきであると考えています。

そして「政治」があると考えます。「政治」は、そこに暮らす人々がより豊かになるにはどうするべきか考える、決定していく、プロセスにあるのです。もっと言えば、色々な声に耳を傾け、何が「社会全体の利益/公共の利益」になるのかを議論し、結果を導いていくのであって、まず最初に問題点「論点」があった上で、議論の後、結論が導かれる過程にあるのです。つまり、結論が先にあるはずがないのです。過程を踏まえた結果、結論が導かれるのが政治であって、結論が最初にある事を体現しようとする事は政治ではなく、利益集団(私企業)の経営戦略です。

 

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4、加計学園とバニラエアー

非常に、バニラエアーの件が解りやすい為、例題として引き続き使用させて頂ければ、当該案件が政治プロセスの出発点になり、そして仮に政治が議論の上、「身障者に対するオペレーションコストは航空会社が負担するものとし、体の障害を理由に利用を拒否する事ができない」と結論が導かれたとします。その際は、バニラエアーはそのコストを含めた価格設定をしなければなりません。

一方、話題になっている加計学園問題はどうでしょう。これは、明らかに結論が先にあり、むしろ政治プロセスを使い、結論へ誘導したと言い切ってしまっても構わない事象の一つでしょう。当然、加計学園は「私企業」である為、そのような働きかけをやる事は問題ございませんが、それによって政治プロセスが逆方向のベクトルに力が働く事は、極端な言い方をすれば、加計学園が政治プロセスを利用した、と言い方ができると思います。先日、安倍首相が、今後加計学園以外にも規制を緩和していく等の発言があったと言われておりますが、これも全く筋違いの話で始めに議論するべき事は、獣医師の数と需要の精査が必要で、1学校のみ認可を受けた、それはずるい、と言う話ではないのです。全く論理的思考の欠如と言っても過言ではないでしょう。

 

5、悲しい事実

バニラエアの件を例にあげ、記述してきました。私が言いたかったのは、単純に言えば一部の日本人の論理性の無さです。主体的に、自分の頭の中で論理的に考える事ができない、悲しい事実です。インターネット上の書き込みで、バニラエアの事件に対し、当該者に向かい「チョン」「シナ」だと書き込む方々の、あきれる程の論理性の無さです。仮に、中国の方でも、韓国の方でも、この事象に関しては同じです。身障者の立場に立って考えれば、彼がどこの国籍に属していようが、論点は変わりません。

一方、加計学園の件でも、違法性がないから、国はもっと重大な事象を議論するべきだ。との声もあります。確かにそうでしょう、しかし、本質的な問題は加計学園単体の問題ではなく、政治プロセスに論理性が欠如しており、さらに重要な課題の議論もできないのです。つまり、論点がないままでは、まともな議論の過程もなく、極端な言い方をすれば、権力(政府)が掲げる結論に賛同するのか、賛同しないのか、といきなり問いかけてくるようなものです。これは政治ではなく、中山きんにく君の「やるのか、やらないのか、どっちなんだい? やる〜」と同じです。

 

6、最後に

色々と前述致しましたが、これは現政権が悪いとかといった単純な問題ではないと、私は考えております。これは、参政権を持つ、「日本人の論理的思考性の劣化」であるというのが、私の一つの考え方です。まるで、私企業のバランスシートのごとく国家を捉え、金銭的損得にて政治をやる事が、至極当然な大人の意見として社会全体が捉えている稚拙さにあります。まるで、投資家のような収益、運用益で政治を語りたがり、見えない社会全体の利益(教育、倫理道徳観念による優しさ、差別をしない等の価値観、金銭で換算できない社会全体の利益、超長期的な社会的メリット)をあまりに軽視し、理想論を語る人々を、まるで分かっていないと糾弾してしまう幼児性。

前述したように、政治は私企業の経営戦略ではなく、社会全体の利益を探るプロセスにあると規定すれば、その中で比較対象として、運用益、収益を検討するべきですが、つまりそこが本質的な論点ではないのです。解り易く言えば、「身障者が健常者同様にLCC航空を利用できる環境が、将来的に身障者も活躍できる環境を創出する一助となる」と判断された場合、そのオペレーションコストを日本社会や企業が負担しうる必要経費と捉える事ができるからです。

もっと、言えば「あなた」がいつ、身障者にカテゴリーされるか分からない。これも事実です。現在健常者のあなたが、将来身障者になっても安心して活躍できる社会。

理想論だと笑えば、きっとそんな未来はこないでしょう。それを社会的な利益だと、日本国民が判断できる、そんな日本でありたいと、私は思います。

バニラエアと加計問題

 

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日本からのお客様から、日本の情勢を伺う事が多い私。後はインターネット。どうしても空気感みたいなものを感じたく、ついつい色々と聞いてしまう。

メディア媒体よりも、人と話す方が主観が入り正確ではないはず、と思っている方がいるかもしれませんが、当方からすると人から聞く話の方が空気感、実感がある。特に昨今「フェイクニュース」なる言葉も氾濫し、メディア自体の信頼性も瓦解してしまった。AIが人から仕事を奪う、という見出しに、日本の労働者人口の減少の問題が目前に迫る、という見出し。

バニラエアーで障害者の方が、車椅子での昇降を拒否され、自力であがるという記事を見ました。コメントを見ると、バニラエアーを非難する以外にも、事前に説明をしたバニラエアーに同情の声があがり、「これだから障害者ワガママだ、格安LCCに乗るな」「対応できる会社を選び、選択するべき」という意見もあった。

 

1、立ち位置を変えた論理的思考の欠如
人の視点は、100人いれば100通りの視点があって当然である。それは、お1人様に2個、目があり、合計200個、全く別の位置にある。2つとして同じ場所、時間に存在する事はない。至極当然であるが、まずこの事実を受け入れられない方々がいる。

その事実を受け入れられないとは、意見を言う人、社会を非難する人、を差しているのではありません。むしろ、それらの声に耳を傾け、論理的に会話する、問題点を論理的に整理するコミュニケーション方法の劣化を言っています。

営業職で働いた経験があれば、法人向け提案営業をやれば必然的に経験する事、それは”何が、双方の利益になり、不利益やリスクはどこにあるのか”という論点の整理と交渉です。論点の整理ができていなければ、交渉は難しく、特に交渉立会者が複数いる場合には論点の整理ができていなければ、まとまりません。

私は社会も同じ仕組みと捉えております。正当性を主張するのみであったり、権威性や規範、ルールを盾に頑なに認めない等は、ある意味、交渉術の部類で、本質的な論点を明確にする事を避ける為に使われる技術です。勿論、民間企業間であれば、不利な状況を覆す為、そのような技術を使い、何とかよりよい条件を獲得する努力は日常的に行われます。しかし、これが政治になってしまうと論点が見えないまま、ある方向へ誘導する技術であり、これは民主主義(選挙民が決定権者)でなくなってしまうのです。

 

2、現在の政治の劣化とは
まず、第一に我々が目を背けてならないのは、我々の政治への認識の低さが、現在の政治状況を映しているのであり、「参政権」のある国民全体の問題である事です。政治家を批判する事は、同時に我々自身への批判であり、むしろ「自己反省」をしているという側面(勿論、全てがと言うわけではないですが)もある事を認識しなければ、民主主義の本質から外れてしまいます。それが、我々が「参政」した結果なのです。

つまり、「政治の劣化」は、民主主義である以上、「国民の劣化」と同義語になる、むしろ民主主義である以上、ならざる得ない、と表現しましょう。

そして第2が、前述した私が考える「コミュニケーション能力の劣化」です。コミュニケーションとは何なのか?漠然とした抽象的な単語に「ボヤっと」してしまいますが、言い換えれば、上記に記述した「立ち位置を変えた論理的思考の欠如」です。もっと、分かり易く言えば、「相手の目に変え、そして自分の目との距離を把握し、”ギャップ”と論点はどこに、どの程度あるのか?」それを把握する能力です。

例えば、バニラエアーの件であれば、「あなたが障害者であれば、心身の障害を理由にLCC航空を利用できない」という事象にどう対応するべきか?という事で、障害者であるから他人に迷惑をかける、それなりの補助(人件費や設備費がかさむ)が必要になる事は会社側の視点であり、利用者側に立てば心身の障害を理由に搭乗を拒否される事は障害者差別と捉えるわけです。論点を整理すれば、格安航空はオペレーションの効率化(人員配置含め)で安いチケットを可能にしています。それによって排除される人々(想定されないマイノリティー)は健常者同様にLCC航空の利益を享受したいと思うのは当然で、身体的な事象から選択肢が狭まる事は避けたいでしょう。

この場合、論点は「身障者が健常者同様にLCC航空を利用する事での公共の利益は?」と言う事になります。

 

3、政治プロセスの重要性

憲法にもある、「公共の利益」とは何なのか?「私的な利益に対し、社会全体の利益を表す」(コトバンクより)。
バニラエアーの件を例題として言えば、私企業の為、当然私的な利益を優先した結果であって、はっきり申し上げれば、非常にシンプルな解りやすい結論という事ができるかと思います。勿論、一つ一つの事象に対する決定権は私企業である以上、「法律」の範囲内で決定する事ができます。前記の事象は違法ではないし、私自身バニラエアーを悪者にするつもりもありません、ただ現実、論点は存在し、それに対し排除される人々が現実存在し、その訴えに対し、私自身は耳を傾けるべきであると考えています。

そして「政治」があると考えます。「政治」は、そこに暮らす人々がより豊かになるにはどうするべきか考える、決定していく、プロセスにあるのです。もっと言えば、色々な声に耳を傾け、何が「社会全体の利益/公共の利益」になるのかを議論し、結果を導いていくのであって、まず最初に問題点「論点」があった上で、議論の後、結論が導かれる過程にあるのです。つまり、結論が先にあるはずがないのです。過程を踏まえた結果、結論が導かれるのが政治であって、結論が最初にある事を体現しようとする事は政治ではなく、利益集団(私企業)の経営戦略です。

 

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4、加計学園とバニラエアー

非常に、バニラエアーの件が解りやすい為、例題として引き続き使用させて頂ければ、当該案件が政治プロセスの出発点になり、そして仮に政治が議論の上、「身障者に対するオペレーションコストは航空会社が負担するものとし、体の障害を理由に利用を拒否する事ができない」と結論が導かれたとします。その際は、バニラエアーはそのコストを含めた価格設定をしなければなりません。

一方、話題になっている加計学園問題はどうでしょう。これは、明らかに結論が先にあり、むしろ政治プロセスを使い、結論へ誘導したと言い切ってしまっても構わない事象の一つでしょう。当然、加計学園は「私企業」である為、そのような働きかけをやる事は問題ございませんが、それによって政治プロセスが逆方向のベクトルに力が働く事は、極端な言い方をすれば、加計学園が政治プロセスを利用した、と言い方ができると思います。先日、安倍首相が、今後加計学園以外にも規制を緩和していく等の発言があったと言われておりますが、これも全く筋違いの話で始めに議論するべき事は、獣医師の数と需要の精査が必要で、1学校のみ認可を受けた、それはずるい、と言う話ではないのです。全く論理的思考の欠如と言っても過言ではないでしょう。

 

5、悲しい事実

バニラエアの件を例にあげ、記述してきました。私が言いたかったのは、単純に言えば一部の日本人の論理性の無さです。主体的に、自分の頭の中で論理的に考える事ができない、悲しい事実です。インターネット上の書き込みで、バニラエアの事件に対し、当該者に向かい「チョン」「シナ」だと書き込む方々の、あきれる程の論理性の無さです。仮に、中国の方でも、韓国の方でも、この事象に関しては同じです。身障者の立場に立って考えれば、彼がどこの国籍に属していようが、論点は変わりません。

一方、加計学園の件でも、違法性がないから、国はもっと重大な事象を議論するべきだ。との声もあります。確かにそうでしょう、しかし、本質的な問題は加計学園単体の問題ではなく、政治プロセスに論理性が欠如しており、さらに重要な課題の議論もできないのです。つまり、論点がないままでは、まともな議論の過程もなく、極端な言い方をすれば、権力(政府)が掲げる結論に賛同するのか、賛同しないのか、といきなり問いかけてくるようなものです。これは政治ではなく、中山きんにく君の「やるのか、やらないのか、どっちなんだい? やる〜」と同じです。

 

5、最後に

前述致しましたが、これは現政権が悪いとかといった単純な問題ではないと、私は考えております。これは、参政権を持つ、「日本人の論理的思考性の劣化」であるというのが、私の一つの考え方です。まるで、私企業のバランスシートのごとく国家を捉え、金銭的損得にて政治をやる事が、至極当然な大人の意見として社会全体が捉えている稚拙さにあります。まるで、投資家のような収益、運用益で政治を語りたがり、見えない社会全体の利益(教育、倫理道徳観念による優しさ、差別をしない等の価値観、金銭で換算できない社会全体の利益、超長期的な社会的メリット)をあまりに軽視し、理想論を語る人々を、まるで分かっていないと糾弾してしまう幼児性。

前述したように、政治は私企業の経営戦略ではなく、社会全体の利益を探るプロセスにあると規定すれば、その中で比較対象として、運用益、収益を検討するべきですが、つまりそこが本質的な論点ではないのです。解り易く言えば、「身障者が健常者同様にLCC航空を利用できる環境が、将来的に身障者も活躍できる環境を創出する一助となる」と判断された場合、そのオペレーションコストを日本社会や企業が負担しうる必要経費と捉える事ができるからです。

もっと、言えば「あなた」がいつ、身障者にカテゴリーされるか分からない。これも事実です。現在健常者のあなたが、将来身障者になっても安心して活躍できる社会。

理想論だと笑えば、きっとそんな未来はこないでしょう。それを社会的な利益だと、日本国民が判断できる、そんな日本でありたいと、私は思います。

どうしたんだ?日本人

 

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最近政治的な話ばかりで、大変申し訳ございません。
しかし、なぜでしょう。。。日本にいる時は、日本の文化等、気にも止めなかったものが海外に暮らしてしまうと、なぜかそこに寄りかかってしまう。

これは、海外に住んでいる人程、保守的で”日本文化”に繊細に反応してしまう、海外あるある。反応過敏というべきだろうか、悪い言い方をすれば、「自分の寄り何処」として心の中で、依存してしまうのかもしれない。

そんな、元来保守的な思想信条であった筈なのに、現在の日本保守に違和感を感じ始め、暫く経ってしまった。

元々、憲法は変えても良いと思っていた、最小限度の軍隊は持っても良いと思っていた、将来的には自国の軍隊を持ち、アメリカ基地依存は無くすべきだとも思っていた。
しかし、全ての外交案件はアメリカの動きに左右され、電力会社の強い経済基盤の前では原発の議論も正確にできない、日本のシステムは正直で正確だと思っていたが、恣意的で利己的になってしまった。助け合いの精神が日本の心、だと思っていたが、今や「パヨク」「ネトウヨ」だと、すぐに人を誹謗中傷する。そして、韓国人というと、悪口になった。

 

どうしてしまったのか?日本人。

 

待機児童や子供貧困、奨学金問題。そして、高齢化による社会保障の問題と労働人口減少化の問題。経済成長への不信。数々の命題が残る中、共謀罪、新安全保障、秘密保護法、国の根幹を揺さぶる大きな案件が次々に決定していく、圧倒的な支持を受けて。これは、まさに革新的な出来事です。(保守的な出来事ではなく、改悪の意味)

私は従前にも記述したが、元来保守的です。日本の文化や慣習を守り、より良い日本の未来を見ていたいのです。それは、戦争の準備することではありません。互いの信頼を分断することではありません。どんなに厳しい未来が予測されようと、互いに知性や技術で平和的に乗り越えていく民族像です。人殺しや、詐欺的手法ではなく、日本的な善意で満ちていたい。

 

保守は戦前回帰の復古主義というものと混同してしまっております。是非、伝えたい。確実に言えることは、現在世界に蔓延するムーブメントは保守主義ではありません、あれは「ファシズム」です。第2次世界大戦前に世界に広がった「ファシズム」です、それは良い悪いではないのです。自由な経済活動を求めていった現代社会が、反平等性が生じ、結果管理される事、管理する事を望み、反動のムーブメントとして「ファシズム」的な思想が伝播していく。

今、人類に求められているのは、この新自由主義の揺り戻しから、新たに創造される価値観の探求であり、このムーブメントを利用している復古主義活動への参加ではありません。

外から見る、日本の政治事情

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国会で共謀罪が成立したようだ。フィリピンにいると何のトピックにもならない、むしろ彼らにはISILの動きの方が重要だ。

私は、日本人の為、こんなニュースにも、ただ触れているだけだ。結論からいうと、悲しい。母国を憐れむ意味で悲しいのだ。

日本だけではない、各国が政治不信になり、選択肢がないと嘆いている。人々は消去法で選択した気になり、嘘か本当か分からないニュースに一喜一憂する。外にいると感じる事の一つに、「何か世界的なトレンドはある」のである、これは誰かが決めているのではなく、人々が起こす”波”のようなもので、伝播するように広がり、大きなムーブメントとなる、まるで経済のバブルの周波数のように、寄せては引いて繰り返す。

ブッシュJrが大統領になり、イラク戦争が始まった。結果的に、根拠、大義名分が不確かまま、始まり、当初の其れは嘘であった。それからではなかろうか、”権威”に対する信頼は失われ、9.11をニューヨークは経験するのである。
その後、愛国法が制定され現在の対テロ戦争へと火種は大きくなっていった。アメリカのみならず、テロは拡大していき、ヨーロッパ、今やアジアでも起きている。結果として、対テロの戦いはテロリズムを大きくした。その後、日本でも対テロ対策として「共謀罪」が成立したのだ。

”権威”が失墜し、信頼し得るものがなくなると、人は不信感を募らすのだろうか?1強支配がなくなると、互いの不信が生まれるのか?それとも個の承認欲求の拡大?社会心理学としては面白いテーマかもしれないが、現代を生きる自分としては、世界の今のムーブメントには非常な危険を感じる。

 

全てが人々の理想とは逆に流れている。本当は戦争など、ない方が良いのに、必要悪な自己保身(軍隊)力は必要だと言える方が、現実的な意見として映る。それは、世界各国の不信感にある。互いに、信頼し合える物差しがなくなったのであろう。それと同様の波が、日本社会へも伝播し、監視される事が生活の安全の為に、必要と考えたのであろう。

話し合い、全てにおいて共通の価値観と物差しが本来必要である、その土台に乗って条約や交渉が必要になってくる、その、あるようで無いような国際ルールというものが、アメリカに恣意的に利用され、その策を後追いするように、あらゆる法律を恣意的解釈する事が日本では現政権下で一般化してしまった。法律の前に真摯である事を忘れてしまっては、民主主義は成り立たない。

「私は、安部さんに反対だったと。」それは言っても、もう遅い。既に、そちらに流れた、そして、「これは私を含め日本国民の責任である。」だから、悲しい。

世界が利己的になり、互いの不信感を煽り、断絶していく様が痛々しい。それは、日本社会にも明らかに浸透していっている。

 

 

 

 

 

自由と平等

 

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右か左か、という分割される議論に、異議を唱えるブログを読んだ。

コメント:左か右か ケンブリッジにて考える

私は個人的にはその通りかと考えます、カテゴライズしたがる方が多すぎるし、今の社会や世界の流れが、その一つのベクトルを行ったり来たりしているのではないと思うので、無意味であると考えるからです。

 

社会主義はなぜ破綻したのか?それは資本主義がなぜ幸福を生み出さないのか?という議論とたどり着く先は同じだと思うからです。これは、私の私見でしかないですが、後述するとたぶん若干の賛同者はいらっしゃるのではないでしょうか?

1、社会主義の破綻の原因
これについては、我々は目前として実感してきたことであり、権力中枢の絶対性が腐敗をもたらし、階層社会の無流動性が人々のモチベーションを減退させる要因になって来た事は事実かと思います。つまり、階層の固定化がもたらす弊害です。勿論、一方で彼らは長期的な経済計画を持ち、大きな国策経済が効率的であると信じていたわけです。

しかし、これは失敗しました。一つは、人間の欲望への無理解です。常に権力より距離のある集団は不満を募らせる、それを国家権力はそれを恐れ、取り締まる訳です。

 

2、資本主義の本質
一方、資本主義は単純に言えば、”お金”に価値を置く社会です。自由な経済競争の中で、ある人はお金持ちに、ある人は貧乏になる、しかしその流動性の中で経済が動き、結果的には社会主義は負け、資本主義が残る形となりました。

しかし、資本主義の本質が見え始めたのは、金融経済が現実の経済より、大きくなっていった頃、だんだん人々は理解していきます。つまり、大きな投資程、リスクが少なく大きく稼げるという「リバレッジ」原理です。つまり収益率(%)が少なくても(つまりリスクが少ない)大きな投資額さえあれば、安定した収益循環が生まれるのです。

実は、やはり資産を持つものが圧倒的に有利であり、第2次大戦後の資本主義当初は流動性があったものの、70年代以降、資本主義の流動性がなくなり、逆に階層が固定化していきます。(ピケティーの指摘です。)

 

3、現在への考察

90年代以降、経済の主流が新自由主義に取って代わり、より自由な経済活動により大きな人間の欲望を満たそうとしましたが、これは経済の数値を大きくする効果あるものの、富むものと貧しいものの格差をより明確にしていきます。逆に言えば、国家が管理していた市場を私企業個人へリリースしていく事で「合理化」という形での恩恵もあったでしょう。いずれにしても、より競争原理の働く世界へと進みます。

一つの潮の流れに変化が起きたのは、「リーマンショック問題」膨らんだ金融市場が破裂するバブルという現象が、実態経済に悪影響与えるほど大きな脅威になったのを実感する一つのきっかけになったような気がします。以前より、バブル経済等は、資本主義の中で起こっているのですが、世界がこれだけ距離感が近くなり、一つの自称が世界全体に一瞬に影響を与えうる事、金融市場の大きさを実感したのではないでしょうか。

そして、今、グローバリズム新自由主義に対する、庶民の不満として「世界的な右傾化」というアンチの動きがでています。共通するのは民族主義的価値観と他民族排他的な世界観。これは、移民の多いヨーロッパやアメリカ社会では当然の流れかもしれませんが、圧倒的に移民の受け入れが少ない、日本でも移民排斥というかたちではなく、隣国批判「嫌韓」「反中」という形で現れているのではと考えます。

 

4、何が良い世界なのか

まず、最初に言いたいのは、正解がないという事です。つまり、絶対的な正義はないと思うのです。これについては、キリスト教的な世界観とは対立します。但し、私の考え方の原点はここから出発します。

「階層化」は安定を持たせますが、流動性を失わせます。常に流動的である事が必要ですが、流動的になるには川上〜川下へ流れる距離感、つまり「階層」が必要になってくるので、「自由」「平等」は相反する概念であり、片方が立てば、一方が立たなくなるという矛盾した原理になります。

つまり、”あなたの自由を許せば、私の平等性が失う”というジレンマです。そこに一定の線引きを与えるのが、法律、政治になります。右か左かの、思想論ではなく、平等性と自由性の間で揺れ動いているのが、政治だと解釈しています。そこに、違うベクトルの思想論が入り込む事で、非常に現実を見えずらくしていると、左右分割者に対して考える訳です。

人によっては、平等性を標榜するのが左で、規制をし平等性を担保する、また右は自由性を重んじ規制を緩和し、より自由は経済活動を担保する。と言うかもしれませんが、現在の政権はどうでしょう?共謀罪については、明らかな規制法律です。しかし、TPPに関しては、賛同しております。しかし、移民政策に関しては消極的です。放送媒体には強く干渉しようとします。つまり、今の安倍政権に関しても、完全に右という事は言えません。また、保守とリベラルという言葉もありますが、これについても非常に曖昧です。今の政権が良い悪いの判断の前に、まず右か左かは、まるでファッションの流行のような見え方でしかなく、思想の背骨のようなものではないのでは?と考えるのです。むしろ思想の背骨は平等性が求められているのか?もしくは、自由な権利主張がされているのか、これが政治家として拾うべき声(世論)かと思います。

そして、今現在の世の中に対して、私の見方は、「平等性の欠落による劣等感からくる、他者排斥への動きが、結果として右傾化したオピニオンリーダーに拾われて一つの流行現象」を起こしているという見方です。これに対する、政治のあり方は行き過ぎた自由性を平等性へ揺り戻す。事だと考えます。

自己責任論を展開するのではなく、弱者に寄り添い、下からボトムアップする政策が必要ではないかと思います。他国に対しても、権利主張するのみではなく相手側の状況を知ろうとする姿勢、理解を示そうとする姿勢が必要だと思うのです。

確かに、外交などは甘い世界ではない、とおっしゃる方がいるかもしれません。私は、世界は我々が作り出していると考えます。つまり、陰謀論にあるような世界の支配者がどこかにいるとは考えておりません。仮に、そういう方がいらっしゃるのであれば、我々ではどうにかなる問題ではないかもしれません。

一歩一歩、世界的なルールを構築して、そこには1国の利害ではなく、各国の平等性と各国の自由性をどこまで、話し合えるかというのは、他人を思い合える、他国を慮れる、共通の美徳(価値観)を共有する事は可能かと考えるからです。

そいう意味では、今の右傾化の流行はアンチ現状に対する受け皿となってしまっている事への不安を感じざる得ません。

 

 

フィリピンの内戦状況についての現地よりご報告

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フィリピンの治安について、ご心配されている方もいらっしゃると思い、書きます。まず、ミンダナオの戒厳令についてでございますが、私直接現地に行って確認しておりますので、ニュースよりもある程度細かな詳細が伝えられるかと思います。

 

1、ミンダナオの戒厳令について(概況)

まず、基本情報を知らないと、勘違いする可能性がございますので、ミンダナオの基本情報よりご説明申し上げます。カトリック教徒が多いフィリピンの中で、ミンダナオエリアについてはムスリムも多く住むエリアになり、フィリピンのムスリムの多くがミンダナオの西部に住んでおります、これはイスラム国であるマレーシアに近いのが一因でございますが、歴史的に実はフィリピンはスペイン占領前までは、イスラム系諸国が多く統治してきた歴史があるのです、厳密に言えばスペインがカトリックを持ち込み、今では80%以上が敬虔なカトリック教徒の国に結果的になった経緯がございます。

その為、ミンダナオ西部の一部エリアではムスリムが自治を行っているところもあり、自治エリアでなくても、ラナオ市の市長はムスリムであったりと、カトリック教徒とムスリム教徒が共存している場所も数多くあります。今回、私はラナオ市に訪問いたしましたが、今回戒厳令になった原因のマラウェイ市の隣市になります。

フィリピンではモロイスラム戦線というイスラム組織が独立運動を歴史的に長くやっていた経緯がございますが、今回の原因のマウテグループ(アブサヤグループの一派、ISIS支持を標榜)とは全く別の組織で、歴史的に続いてきた(現在、自治を認められ政府と休戦中)、フィリピン国内のイスラム独立運動のながれとは全く関係なく、現在フィリピン政府とモロイスラム戦線はむしろ、共同歩調をとっております。(ここが複雑です。)

つまり、今回については多くのムスリムも非難しており、必ずしも宗教対立ではないこと。また、外国人の傭兵部隊も確認されているとのニュースがフィリピンでは流れています。つまり、確かにミンダナオでは歴史的にイスラム独立運動が続いてきた経緯がありますが、今回についてはその流れにあるものではない事を抑えて頂きたいです。

 

2、ミンダナオの戒厳令について(実態)

今回マラウェイ市より、イリガン市迄のエリアにフィリピン軍が囲い込み、マラウェイ市内で彼らがテロ活動を行っている状況になっております。現在、フィリピン軍の囲い込みが、成立しており、隣町ラナオ市においては主要道路のチェックポイントは数多くありましたが、平穏な状況でした。それでも、人達の話題は勿論、このマウテグループの動向が一番大きなトピックです。
実は、私の奥様はこのラナオ市出身でこちらに実家があり、私の娘も現在奥さんとラナオ市に滞在しており、その為、今回心配で訪問しました。(私は出稼ぎですね。。。)また、奥さんの父親ムスリムエリア出身で、ムスリム系の民族:マラナオ族のエリアで育っております。(現在はカトリックですが、親族にはムスリムも多いのです。また、マラナオ族は言葉も違いますが、奥さんもお父さんも、マラナオ語(アラビックに近い)が話せます。

つまり、戒厳令はミンダナオ全土へ2ヶ月間施行されておりますが、実態としてはイリガン市〜マラウェイ市のエリアに軍が包囲し、現在殲滅を狙っているという状況です。

 

3、ミンダナオの戒厳令について

まずは、必要以上に恐れない事が大切だと考えます。勿論、用心に越した事はないですが、国内内戦というニュースが流れておりますが、これは以前あったような、イスラム独立運動の一貫ではなく、内戦というレベルではない事。「内戦」という言葉に、以前よりある「イスラム系組織」と「フィリピン政府」という大きな対立ではなく、多くのムスリムも非難している事を抑えて頂きたいのです、少し日本のニュースの報道には違和感を覚えます。

マラウェイ市はムスリム自治区に近く、ムスリムエリア近くにISISの旗を立てて、一般ムスリム市民を殺害し、ムスリム独立を叫び、外国人傭兵が入り込むテロリストに対して非常に違和感を感じます。

 

4、私見

今回の事件は、ドテルテ大統領のロシア訪問時におこりました。ロシア訪問時に、彼がコミットした事は、今後武器援助をアメリカからではなく、ロシアから協力支援を仰ぎたいという事です。その後、この事件が発生しております。

人の命を何とも思わない、このテロリズムムスリムカトリックもご近所さんとして暮らしてきた、この界隈での出来事。この攻撃を支持するムスリムもいない、この事件においてムスリムが何の利益も得られない、これについても、非常な違和感を感じます。私が何かできる事は少ないかもしれませんが、是非、皆さんにお知らせしたいのは、果たして、彼らはの目的はムスリム国家の樹立なのでしょうか?フィリピンに問題を生じさせるのみ、実際の何の罪もない、ムスリム市民が一番の被害者である事以外何の結果が生み出せるのでしょうか?

しっかり我々が思考し、間違えの無い、論理的な判断をし、色々な人を誤った判断で隔絶していくのを食い止めたい、それが思いです。