フィリピン ハゲ ちゃびん日記

フィリピーナと結婚し、1女を設けてしまい。フィリピンに滞在すること事を決意。既に、数年を経過。。。フィリピンから見た日本そして、日本人から見たフィリピン。何が正しく、何が間違いなのか、混沌する世界をさておき、ひたすらに、文化の違いに悪戦苦闘する日々を綴る

ご両親へ、ご挨拶#4 (コルトガバメント)

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   夕食を食べ終え、ソファーに座り、バスケットボールの試合(NBA)中継のテレビを観戦し出すお父様。このタイミングで私はお声を掛けさせて頂いた。「Excuse...」

 

セブ空港より持ち込んだ、日本酒「久保田」を持ち、「Its Japanese rice wine. Let's drink together. It's my pasalubong.」( Pasalubong : お土産)とビサヤと英語を駆使し、何とかご機嫌をとろうと、頑張っていた。

 

ゆっくりと私と「奥さん」に近寄ってくる、お父様。逐一、お辞儀は忘れません、ジャパネーススタイル。緊張もマックスに達し、笑顔か泣き顔か分からない、泣笑顔で赤べこハゲのお辞儀攻撃。

「奥さん」のお母さんが笑顔でコップを持ってきてくれて、晴れて乾杯。お父様の第一声は「I'm surprising」悲しそうな顔で私に語った。いきなり、妊娠、、と聞かされれば確かに驚くだろう、私は何も言えずにコップの日本酒を飲み干した。「奥さん」は22歳、私は39歳、お父様の方が歳が近い、エロい中年男性が、のこのこ、と家に来ては、ハゲお辞儀攻撃ではやるせないのは当然だろう。

 

「君は真剣なのか?」「Sure」と返答した後、お父様はおもむろに立ち上がり、奥の部屋に入ったかと思うと、”コルトガバメント”持ってゆっくりと戻って来た。

 

私も、これでも昔は武闘派で鳴らした口だ。少し、酒も入っている私は強気に。「I saw first time. Its looks like heavy.」私は、本物を見たのは初めてだったので、正直に「重そうだね。」と感想を述べた。これは、ジャブである。「私はびびっていないぜ。お父様」という私の肝の座り方、示して差し上げた。

横見ると、「奥さん」はお母様と一緒に、その場を離れていった。何とも、頼りない。ミンダナオでハイウェイ沿いに立って、私を待っていた時は、何と神々しいと思ったが、今、撤回する。お母様と「奥さん」は、(それでは男同士で・・)。みたいな顔して、その場を離れていった。

 

テーブルにはコルトガバメント、ほぼ無言の中年2人が日本酒を飲む。これから、始まる2時間の酒盛りは、私の人生の歴史に残る、壮絶な時間の始まりだった。。。

お父様が「カポっ」とコップを開け、私が続き、そして注ぐ。。。

 

ご両親へ、ご挨拶。#3

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250CCのモトクロスタイプのバイクにまたがった、太ったおじさんが「奥さん」の実家に無言で入ってくる。「奥さん」は「papa」と叫び、フィリピンスタイルのリスペクト(手の甲を額に当てる。)を表し、シスターズ次々に続く。私は、即座にその列に並び、まだかまだかと、私の額にもあなたの手の甲を当てさせてくれ!と言わんばかりの表情を見せつけてみたが、あっさりとシカトされた。

10年近くも日本で営業を頑なにやってきた、生粋の営業サラリーマンである、接待の天才と言われ、嫌味のないヨイショが得意技である。人と仲良くなることだけは自負があったのに、今回は出鼻をくじかれた。

先に夕食を食べてしまっていたので、「お先に頂いております」と英語で言いたくても、出てこない。ビサヤでも当然わからず、「Sorry, I ate first..」と言ってしまった。合っているのか、間違っているのか、たぶん間違っている。伝わったのだろうか?分からないまま、引きつった笑顔で、会津土産の赤べこ並みにお辞儀を重ねた。心の中で叫ぶ「伝わってくれ、ジャパニーズスタイル」必死だった。

 

 

実は、セブで地元のフィリピン人に聞いていた、「フィリピンの田舎に行くと、都市部よりずっと保守的で、場合によっては撃ち殺される危険性もあるよ。」と。。。「結婚前に妊娠は、順番違うし。」そんなの知っている。

セブなど都市部では、既に貞操観念は壊れてしまっているが、元来カトリック色の強い保守的な国で、田舎は未だに結婚までは”バージン”という宗教観が強い。

 

一人、遅めの夕食をお食べになる、約体重100kg程度、身長約180cmの大きな体をしたお父様の背中を眺めていた。横を見ると「奥さん」も物凄い緊張した顔で私の隣に座っていた。ふと、思い出した、、、妊娠が発覚した時、「パパにだけは言えない、物凄い怖いの。。。」と涙していた。私が泣きたかった。

ご両親へ、ご挨拶。#2

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ミンダナオ島のLanao del norte Tubodに到着した時刻は、夕方4時を回っていた。

セブよりもずっと田舎である、ラナオではゆったりした時間が流れていた、家の前ではカラバウ(水牛)が歩き、目の前には田んぼが広がる。「今度、魚取りをしよう。。」密かに心に決めた。(私の実家近くで友人とドジョーを採った事を思い出した。)

 

その時点ではお父様は、まだ仕事中で、家にはお母様と6人姉妹と「奥さん」、あと訳のわから無い縁戚のお子様達。(フィリピンではみんなCusin:従兄弟という。)もの珍しげに私の顔を見ては、走って逃げていた。

ただ、ボーッとしていると、「何だか〜遠くへ来たもんだ〜。」知らずに鼻歌を口ずさんでいた。居心地は悪くなく、どちらかというと現住所のセブよりも居心地の良さを感じた。都市化されていない為、ストリートチルドレンも居ない。家の前にはバナナがなり、パイナップルらしきものもあった。食べるのに困らないだろうし、家の側にある共同の井戸で、みんなその水を無料で飲んでいた。

経済発展とは人を幸せにするのかな。一瞬考えて、自分は15ペソで買ったペットボトルを飲み干した。

 

18時を回り夕食を振舞ってもらった。セブのレストランで食べるフィリピン料理より美味しく感じて、非常に和やかな雰囲気で時間が過ぎていった。

 

1台のバイクの音が近づいてくる。「奥さん」が言う、「パパが帰ってきた!」。。。ついに、この時が来た。一瞬にして、家中の空気が変化する、明らかに緊張し、私の心臓の鼓動が高鳴ってきた。。。「殺されちゃうかも。。。」不安がよぎる。

 

ご両親へ、ご挨拶。#1

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セブ・マクタン空港より、心もとないプロペラのついたジェット機に乗り、ミンダナオ西側に位置するオザミス(Ozamis)へ向かう。セブからだと、1時間程度のフライト、大して遠くは無い。

お客様より、頂いた一見高そうな、日本酒を手土産としてバックに空港で止められながらも「プレゼントだ!」と言い、情に訴え、荷物検査も通してもらい無事オザミスに到着した。

また、そこからが大変だった。トライセクル(客乗り箱の付いた、モーターバイク)に乗り船着場に到着、フィリーチケットを買い、ムカス(Mukas)を目指す。こちらも、乗船時間は1時間程度(待ち時間は1時間)、その後ムカスよりザンボンガハイウェイに出てツボット(Tubod)へ行くジープニーに乗車する。

地名が何から何まで、全然お馴染みではない。若干ビサヤが喋れることが救いだったが、分からなければ帰れ無いな、っとその時思った。。

そして、ジープニーで1時間程度走った後、ハイウェイ沿いに立った、「奥さん」と奥さんシスターズを見つけた。(彼女は先に実家に帰っていた。)

ジープニーに止めて、そして降りる。奥さんのハイウェイ沿いの立ち姿を見た時、こんなにも頼もしく、神々しく「奥さん」を感じた事は今も無い。とにかく、ホッとした。。。

 

 

ブログ開始

 

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出会いはフィリピンのマクタン島内のシャングリラホテル。彼女はウエイトレス。

それが、現在の奥様でした、フィリピン人の割にはあまり人懐っこくない、

少し距離感を感じる、そんな印象の女性でした。

 

最初はFacebookを交換し、その後食事に出かけるようになってから、気づいたら

付き合っているような状況で、未だにどちらから『付き合おう』と言ったかは、

定かではなく、早くも数年。。。

 

一昨年に妊娠が発覚し、急いで、奥さんの両親に挨拶を決意、一昨年の11月の

ことでした。場所はミンダナオ島のLanao del norte. モスリムもいる、日本大使館

によると渡航延期お勧め区域。。。