フィリピン ハゲ ちゃびん日記

フィリピーナと結婚し、1女を設けてしまい。フィリピンに滞在すること事を決意。既に、数年を経過。。。フィリピンから見た日本そして、日本人から見たフィリピン。何が正しく、何が間違いなのか、混沌する世界をさておき、ひたすらに、文化の違いに悪戦苦闘する日々を綴る

多様化とマイノリティーと寛容性

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昨日、私を悩ませる事象が起こってしまった。本当に難しく、今もモヤモヤしたものが残っている。どうすれば良いのだろう。。。。

 

私の会社では色々なお客様が各国から来る、それぞれが大切なお客様です。要は、インターナショナルな環境の英語学校。それぞれの、国籍や宗教観は尊重する必要があるのは当然の事。各マイノリティー(LGBT)も受け入れている。

 

中東の生徒様が何やら、一人を囲んで物凄くモメテいる。スタッフに聞くと、「プライベートの事だから。。。」と歯切れが悪い。。

「色々な人が見ている前で、大声で喧嘩するのも、見栄え悪いから、僕のオフィスの中で話し合ったら?」と提案して、首をつっこむ羽目になってしまった。(その時点で私は、何が問題なのか分かっていない。)

 

良く良く聞いてみると、まずこの問題については2段階に分かれている。中東の生徒様のうち、6人の内3人が未成年だった。この3人がタバコを吸っていたとの事で、我々のスタッフが注意を促したのが、事の発端であった。

その中で、少年達が口々に名前を挙げた、もう一人の中東の人間がいた、仮に名前「A」とします。Aは未成年(15歳〜14歳)の少年達の部屋行ったり、遊んだり、仲良くやっていたのだが、その過程の中でタバコを勧めてしまったとの事であった。Aは成年であるので問題ないが、やはり未成年に勧めてしまってはダメだ。という事で、他の中東の成年2人がやってきて注意を促す。この注意を促した中東の成年をBとCとしよう。

一旦、Aは非を認め、少年達へは、「どんなに他人が勧めようとも、吸ってはダメだ」とスタッフから注意を促し、協力してくれた中東のBとCにスタッフ側から礼を言い、事なきを得たとの事だったが。その後、少年達の心変わりは早く、今度はすっかりBとCと仲良くなり、今度、少年達がBとCに、Aが少年達の体をタッチしてきた、と別問題として、告白したのであった。そして憤慨するBとCでAを相手に、少年達を代表し、まくし立てていたところに、私が通りかかり、部屋に案内するよう伝えた。との経緯だ。

 

中東では、ホモセクシャルやゲイは、非常な嫌悪の対象となる。勿論、タバコを勧めるなどは、論外で、反省してもらうべきであるが、BとCが言う、ゲイやホモを理由に「学校を今すぐ、退学させろ」という判断はできない、我々はどんな性趣向も尊重するべきであると考えるし、彼は自分の性癖から一人部屋に滞在している。確かに、少年らと交流が一見仲良しに見えたが、彼がゲイであるとは気づかなかった。BとCはAに、2度と少年達に近づくな、挨拶も[Don't say hi]するなという事になってきた。

一度、私はオフィスの中でスタッフを呼び、互いの意見をそれぞれ聞こう。と一方的な意見ではなく、双方の意見を聞くという形をとるように意見した。勿論、互いの意見は食い違い、Aは確かにゲイであるが、少年達へはフレンドリーの対象としか接してない、と主張し、BとCは、彼は危険であるから、即刻学校を辞めさせろと主張を繰り返した。

 

最終的には、私はイライラもあったのだが、「Please, stop」と声を荒げてしまった。ここは私の反省点である。いづれにしても、何の確証もない限り、簡単に退学にできない旨を伝え、かといって少年達が恐怖を感じているのであれば、取り除かなければならないとし、Aについては他の生徒の部屋には入室禁止を言い渡し、但し、Aについてホモ、ゲイを理由に退学がない旨をBとCには伝えた。

 

結論を言う、結果Aは自分の性趣向が知られてしまっては、今後学校生活は営めない、としその日の内に学校を辞めて出てしまった。その後、BとCも学校側のホモ、ゲイに対する扱い、それに対する少年達への保護意識が低いとして、最終的には声を荒げてしまった、「私」がBとC謝罪する形で現在、決着した形になっている。

 

多様化とマイノリティーと寛容性。

私には、何が正しい対応だったのか、未だにモヤモヤしている。彼らはBとCも最終的には学校を辞める、返金しろ、という自体になったので、最後は私から謝罪した。勿論、私が声を荒げて、彼らの言い分を制したのが気に食わず、彼らからすれば、少年達を守る「正義心」だった事は理解する。

 

今回の落とし所、どこだったのだろうか?未だに、正解が見えない。結果、会社の返金をゼロに納めるという仕事を全うしたのみだ。

夏だ、繁忙期だ、フィリピンだ。(フィリピンの商売取説)

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はい、ついに来てしまいました。フィリピンセブエリア(リゾートエリア)の繁忙期、近年は、韓国人、日本人、のみならず台湾人、そして増加傾向の中国人とアジアンリゾートとすっかり定着してきて、何よりです。

ただ、この時期以外は、「のんべんだらり」しているおかげで、体がついていかないです。日頃の鍛錬は重要です。

 

80名の団体台湾人に、わたくしが今日の予定を説明します。言っているすぐそばでスタッフが勝手にスケジュールを変更します。

「こっちの方が早い サー」
「ちょっと、待って、それじゃ後々確認ができなくなっちゃうから。。。」
案の定、2名様忘れるハプニング、フィリピン初心者はこれで頭を抱えてしまうのでしょう。私ほど、フィリピンマニアになると、そんなの予想済みです。ちゃんと、予備のバンを手配しております。最後に、私と2名様でVIPクルージングという事でご納得頂けました。

「だから言ったでしょ」とも言いません。何度、怒ってスタッフが突然いなくなったでしょう。笑顔で、では「こうしよっか」とハプニングが起こる度に、修正作業です。

おかげで土日は睡眠時間僅かの2時間。帰れば、私の事をまるで信じない奥さんは「なぜ?また、どうせ他の女と。。。」もう、良いのです。私はブッダ。無我の境地。パンチドランカーです。

 

フィリピンで仕事をするならの鉄則

1、誰が悪い?
必ず、フィリピンの人は何か起こった時は、誰々が悪く、私ではない。と言います。まずは丁寧に説明しましょう。誰が悪いは問題ではないのよ。お客様は我々の会社に言いたい事があるの、「まず聞いて!」フィードバックしましょう。

2、顧客との情報共有プロセス
情報共有が苦手です。ボスに報告すれば、それで済んだと思ってしまいます。報告の後に結果をしっかりお客様へレスポンスを返す必要があります。それが、例えお客様の納得いく結果でなくてもです。連絡メモをとる様にした方が良いでしょう、ボスへ報告でチェック、お客様へのフィードバックでチェックで消える様にする。後は何度も、何度も言いましょう。

3、連絡は必要以上に小まめに
私は、連絡する際は、必ず同じ連絡をマネージャーだけではなく、関連部署にも、その下にも直接連絡します。(指示分類毎に関連部署と共有チャットを作るのが良いでしょう。マネージャーの下の人間にはメールするのではなく、話しかける。「〜聞いた?」)非常に手間もかかり、面倒ですが、、、今、私がたどり着いた一つの答えが、とにかく現場が知らなかった。逆に、現場からの報告がなかった、この現象を無くす努力が必要。

 

まとめ:
誰も見ていないブログの為、少しフィリピンの方の悪口になってしまうかもしれませんが、とりあえずご勘弁ください。一つ言いたいのは、私は比較的彼らをリスペクトしています。彼らの家族に対する思い、友達に対する思いは非常に強く、互いを大切にします。その為、良い親類関係に恵まれれば、色々と助けてくれます。

但し、その反面、仕事に対する執着はありません。理念もありません。社会貢献などと言う言葉は教会の「ドネーション」が全てです。

残念ながら、他人の気持ちに立って、物事を考える事が苦手な為、自分の「早く帰りたい」という気持ちが優先されます。少し知恵のある大卒フィリピン人は労働法を盾に、会社への協力をいくらでも惜しみます。なぜか、みんな自信家です。

解決方法としては、何でも良いのでポジションをあげる。〜Managerという肩書きが良いでしょう。少し、仕事にプライドを持ち始めます。後は、組織を意識させて、ピラミッドを作って見せる。少しだけ、競争心を奮い立たせてあげましょう。そして、連絡網の徹底です。これで大抵のクレームは防げます。

最後に、「フィリピンだから」を言い訳せずに、お客様へ「ひたすら謝る、心から」

さあ、やってまいりました「涙のピークシーズン」

日本政治とフィリピン政治

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Nepotism:

これは縁故主義と訳し、フィリピンでは良くお見受けする政治スタイルです。例えば、国政、地方行政に関しては全てネポティズム、要は親類関係で政治を回す。もっと言えば就職なんかもそう。その為、フィリピンでは良くあること、ファミリーネームで大体判断できてしまう。市長の娘の会社、私の姪っ子がアカウンタント、銀行のマネージャーが。。。。結局、全てが縁故主義で回っている。貧乏家庭は貧乏のまま。富める家庭はチャンスが広がる。例えできの悪い息子でもです、絵に描いたような縁故主義

かくなる、うちの会社でもアラビック担当マーケッティングのお父様は、元サウジアラビアのフィリピン大使の息子。彼らは、縁故主義で仕事を回す。うち会社のオーナーも結局はお父さんがお金持ちで、カモテス島にホテルまで持っている。結局、お金持ちの息子の会社の雇われが私のわけです。

 

来た当初は、何と前近代的な環境かと心の中で笑っていましたが、外から日本を見ると、実際日本も一緒。安部さん一家は政治家一家、日本人同士の話も、フィリピン人同士の話と大差無い、「どの人知っている?」合戦です。

私は、これを「中学生環境」と呼んでおります。「OO君知っている?」「ああ何中の?」という会話と一緒ということです。その人の人脈を把握することで、その人自身のステータスを把握する環境下を言います。

かくなる、我々のフィリピンのお客様も必ずと言って、良いほど口にします。「私の叔母さんが、市役所のアカウンタントで働いている」とか「御社のITマネージャーを叔父さんが昔やっていた」とか。。。ビジネスの中で日常的に出てくる言葉です。もっと、面白いのは、市長の同級生とか。。。そこで、ステータスを把握しあうようです。

そして、何と昨今の日本のクライアントさんもそう、どこどこの政治家とコネクションがある。とか、あの人の父親は九州では有名な名士だとか。そこで、ビジネス上の有意義な人物であるかどうか判断されてしまうわけですね。まあ、人間そんなものでしょうが。。。

 

但し、ヨーロッパの人や、アメリカの人に関して、そういう物言いはあまり聞かない。(まあ、あまり私は、ビジネス上そんなに関わら無いですが。。)アジアでは特にの縁故主義の影響下が強いと感じます。

そして、日本。何でしょう、ここ最近、特に強くなったような気がします。特に技能実習制度(フィリピン人学生の送り出し)等を私が少し携わるようになってからでしょうか。あそこ認可機関に、知り合いがいるだとか、政治家とコネクションがあるとこ、そんな話ばかりが目立つようになってきました。

安部さんが、首相になってから、私が一番危惧していることはココです。非常に縁故的になっている。それは政治のみならず、ビジネスの世界もそうなってきている。だからこその加計問題なのでしょう。つまり、ビジネスの実力や行動力ではなく、ステータスに寄り添う方がお得。という現状を作り出したのは、現政権の最大の功績(?)ではないでしょうか。今や、日本市場の大株主「日銀」様です。何でしょう、この得体の知れ無い、逆戻り感。。。

そして「日本会議」かくなる都民ファースト様も「日本会議」。ずっと、ビジネスの畑に居た、私も存じ上げております。「日本会議」に参加しといた方が、色々な話があるよ。との事でした。その中で、思想もなく、損得勘定で参加していく人々。気づけば、どうなることやら。。。フィリピンを笑えなくなる日は、そう遠くないのでは。

 

つまり、日本の国際的競争力が落ちているのは、本当の意味での企業間の競争ではなく、コネクション合戦の損得勘定で物事が動く世界に逆戻りしてしまった為、のような気がするのです。本来企業は、より良いサービスを提供したり、商品の差別化を計ったり、という事での競争が、行き詰まったいく末に、出てきたのが、より「寄る大樹が最も安全」という価値観ではないでしょうか?

私が言う「中学生環境」の逆戻り、流石、復古主義だけあり、時代を逆に回す天才です。完全な嫌味ですが、残念ながら、私はこれが現代日本の真実であると思います。

夏休み!「フィリピンで楽しくやるコツ」

 

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やってまいりました、忙しい季節。セブ周辺ではやはり主要産業は観光という事で、この夏休みシーズンが最も繁忙期。どこも、かしこも忙しくなる季節です。既に、ほとんどのホテルは予約いっぱい状況で、僅か2ヶ月のこの時期に全ての収入を集約させます。頑張るぞ!

中国人も台湾人も、日本人も韓国人も夏休み。アジアのスケジュールは似たり寄ったりなんですね。ラマダンの影響で6月末日にテロがあるという、噂は飛び交っておりましたが、無事にその日も過ぎ去り、平穏な日々が続いております。

補足として、セブは別に治安が良いわけではありません、元々。。。エリアによっては危険な場所もあるので注意は必要です。例えば、セブ市内のコロンエリアは夜は絶対行ってはいけないです。。。一つ言える事はテロがミンダナオであったからと言って、昨今、治安が悪くなっているていう事はないですよ。という事で注意は必要です。

 

[フィリピンで楽しくやるコツ]

 

まず、大切な事は、イライラしてはダメです。でも、イライラします。ショッピングすればスーパーマーケットのレジの列は、とても長く、果てしない。マクドナルドですら待ちます。もうこれは、スローフードです。そして誰も急がない。時間には余裕を持った行動が必要です。ホテルで何か破損があって、修理を呼んでもなかなか来てくれません。修理しても、また破損。本当に直したのでしょうか?という疑問が出てきます。

先ほども、日本のお客様が私のところに来て、洗面の水がポタポタとずっと垂れているようで、修理を依頼したとの事。そしってスタッフから「直りました!」の良い返事。お客様へは「直ったみたいです。よかったですね、本当にお手数をおかけ致しました。すみません。」と軽く、会釈して立ち去ろうとしたら、、、、。

 

お客様「実は、先日も修理依頼して、”直った!”とスタッフの方が言っていたのですが、1時間後にこの状況。既に2回修理してもらっていて、今回3回目なんです。。」

 

私「えっ。そうだったのですね。大変申し訳ございません。私が把握しておりませんでした。。。」「それでは、仮に今回、直っていなければお部屋を変えましょう。本当に申し訳ございませんでした。」

 

そんなやり取りをした後に、スタッフと話します。

「already you have fixed 2 times before?」

「Yes, but its easy to fix. No problem.」

はい、皆様、理解しましたでしょうか?簡単に直るものであれば、既に2回も、なんで修理してもまだ直っていないのでしょう?これから、読み取れる事は「たぶん修理が難しい事例でなのでは?」と読み解く、フィリピン読解力が必要です。

 

次にする事は、勿論別のお部屋の用意です。そのまま、彼らのいう事を真に受けず、背景から推察する能力が必要になります。彼らは、返事だけは良いのですが、ネガティブな意見を他人に言う事は苦手です。

(ここを察する能力。イライラせずに、次のステップを踏む能力が重要になります。)

早速、私は別の部署に別のお部屋の手配をお願いします。

 

私「Could you prepare another room for the Clients?」

フロントスタッフ「Now we’ve done to fix, right?」

私「But we are not sure to fix completely, I'm worry to happen again.」

フロントスタッフ「But we don't have any available room sir..」

私「I see..., ok You can use my room at least we cannot fix it.」

フロントオフィス「Ok, sir」

 

早速、私が部屋の移動をする事になりました。「なぜ?」と思っては負けです、イライラしないです。イライラしないです。

荷物を詰めましょう。結構重いですね。運ぶのも結構大変そうです。スタッフは楽しそうにおしゃべりしてますね。ハウスキーパーは楽しそうに歌いながらお掃除ですか?。南国ですね〜。一回では運べないかな〜、何往復するかな。。。。。

 

「ふざけんな〜、お前らのせいだ!!何でお前らはそんないつもHappyなんだ!」

 

はい、すっきりしました。

セブは良いところ、是非一度!!

バニラエアと加計問題

 

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日本からのお客様から、日本の情勢を伺う事が多い私。後はインターネット。どうしても空気感みたいなものを感じたく、ついつい色々と聞いてしまう。

メディア媒体よりも、人と話す方が主観が入り正確ではないはず、と思っている方がいるかもしれませんが、当方からすると人から聞く話の方が空気感、実感がある。特に昨今「フェイクニュース」なる言葉も氾濫し、メディア自体の信頼性も瓦解してしまった。AIが人から仕事を奪う、という見出しに、日本の労働者人口の減少の問題が目前に迫る、という見出し。

バニラエアーで障害者の方が、車椅子での昇降を拒否され、自力であがるという記事を見ました。コメントを見ると、バニラエアーを非難する以外にも、事前に説明をしたバニラエアーに同情の声があがり、「これだから障害者ワガママだ、格安LCCに乗るな」「対応できる会社を選び、選択するべき」という意見もあった。

 

1、立ち位置を変えた論理的思考の欠如
人の視点は、100人いれば100通りの視点があって当然である。それは、お1人様に2個、目があり、合計200個、全く別の位置にある。2つとして同じ場所、時間に存在する事はない。至極当然であるが、まずこの事実を受け入れられない方々がいる。

その事実を受け入れられないとは、意見を言う人、社会を非難する人、を差しているのではありません。むしろ、それらの声に耳を傾け、論理的に会話する、問題点を論理的に整理するコミュニケーション方法の劣化を言っています。

営業職で働いた経験があれば、法人向け提案営業をやれば必然的に経験する事、それは”何が、双方の利益になり、不利益やリスクはどこにあるのか”という論点の整理と交渉です。論点の整理ができていなければ、交渉は難しく、特に交渉立会者が複数いる場合には論点の整理ができていなければ、まとまりません。

私は社会も同じ仕組みと捉えております。正当性を主張するのみであったり、権威性や規範、ルールを盾に頑なに認めない等は、ある意味、交渉術の部類で、本質的な論点を明確にする事を避ける為に使われる技術です。勿論、民間企業間であれば、不利な状況を覆す為、そのような技術を使い、何とかよりよい条件を獲得する努力は日常的に行われます。しかし、これが政治になってしまうと論点が見えないまま、ある方向へ誘導する技術であり、これは民主主義(選挙民が決定権者)でなくなってしまうのです。

 

2、現在の政治の劣化とは
まず、第一に我々が目を背けてならないのは、我々の政治への認識の低さが、現在の政治状況を映しているのであり、「参政権」のある国民全体の問題である事です。政治家を批判する事は、同時に我々自身への批判であり、むしろ「自己反省」をしているという側面(勿論、全てがと言うわけではないですが)もある事を認識しなければ、民主主義の本質から外れてしまいます。それが、我々が「参政」した結果なのです。

つまり、「政治の劣化」は、民主主義である以上、「国民の劣化」と同義語になる、むしろ民主主義である以上、ならざる得ない、と表現しましょう。

そして第2が、前述した私が考える「コミュニケーション能力の劣化」です。コミュニケーションとは何なのか?漠然とした抽象的な単語に「ボヤっと」してしまいますが、言い換えれば、上記に記述した「立ち位置を変えた論理的思考の欠如」です。もっと、分かり易く言えば、「相手の目に変え、そして自分の目との距離を把握し、”ギャップ”と論点はどこに、どの程度あるのか?」それを把握する能力です。

例えば、バニラエアーの件であれば、「あなたが障害者であれば、心身の障害を理由にLCC航空を利用できない」という事象にどう論理的に解釈するか?という事です。障害者であるから他人に迷惑をかける、それなりの補助(人件費や設備費がかさむ)が必要になるという事は会社側の視点です。利用者側に立てば心身の障害を理由に搭乗を拒否される事は障害者差別と捉えるわけです。論点を整理すれば、格安航空はオペレーションの効率化(人員配置含め)で安いチケットを可能にしています。それによって排除される人々(想定されないマイノリティー)は健常者同様にLCC航空の利益を享受したいと思うのは当然で、身体的な事象から選択肢が狭まる事は避けたいでしょう。

この場合、論点は「身障者が健常者同様にLCC航空を利用する事での公共の利益/社会全体の利益は?」と言う事になります。

 

3、政治プロセスの重要性

憲法にもある、「公共の利益」とは何なのか?「私的な利益に対し、社会全体の利益を表す」(コトバンクより)。
バニラエアーの件を例題として言えば、私企業の為、当然私的な利益を優先した結果であって、はっきり申し上げれば、非常にシンプルな解りやすい結論という事ができるかと思います。勿論、一つ一つの事象に対する決定権は私企業である以上、「法律」の範囲内で決定する事ができます。前記の事象は違法ではないし、私自身バニラエアーを悪者にするつもりもありません、ただ現実、論点は存在し、それに対し排除される人々が現実存在し、その訴えに対し、私自身は耳を傾けるべきであると考えています。

そして「政治」があると考えます。「政治」は、そこに暮らす人々がより豊かになるにはどうするべきか考える、決定していく、プロセスにあるのです。もっと言えば、色々な声に耳を傾け、何が「社会全体の利益/公共の利益」になるのかを議論し、結果を導いていくのであって、まず最初に問題点「論点」があった上で、議論の後、結論が導かれる過程にあるのです。つまり、結論が先にあるはずがないのです。過程を踏まえた結果、結論が導かれるのが政治であって、結論が最初にある事を体現しようとする事は政治ではなく、利益集団(私企業)の経営戦略です。

 

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4、加計学園とバニラエアー

非常に、バニラエアーの件が解りやすい為、例題として引き続き使用させて頂ければ、当該案件が政治プロセスの出発点になり、そして仮に政治が議論の上、「身障者に対するオペレーションコストは航空会社が負担するものとし、体の障害を理由に利用を拒否する事ができない」と結論が導かれたとします。その際は、バニラエアーはそのコストを含めた価格設定をしなければなりません。

一方、話題になっている加計学園問題はどうでしょう。これは、明らかに結論が先にあり、むしろ政治プロセスを使い、結論へ誘導したと言い切ってしまっても構わない事象の一つでしょう。当然、加計学園は「私企業」である為、そのような働きかけをやる事は問題ございませんが、それによって政治プロセスが逆方向のベクトルに力が働く事は、極端な言い方をすれば、加計学園が政治プロセスを利用した、と言い方ができると思います。先日、安倍首相が、今後加計学園以外にも規制を緩和していく等の発言があったと言われておりますが、これも全く筋違いの話で始めに議論するべき事は、獣医師の数と需要の精査が必要で、1学校のみ認可を受けた、それはずるい、と言う話ではないのです。全く論理的思考の欠如と言っても過言ではないでしょう。

 

5、悲しい事実

バニラエアの件を例にあげ、記述してきました。私が言いたかったのは、単純に言えば一部の日本人の論理性の無さです。主体的に、自分の頭の中で論理的に考える事ができない、悲しい事実です。インターネット上の書き込みで、バニラエアの事件に対し、当該者に向かい「チョン」「シナ」だと書き込む方々の、あきれる程の論理性の無さです。仮に、中国の方でも、韓国の方でも、この事象に関しては同じです。身障者の立場に立って考えれば、彼がどこの国籍に属していようが、論点は変わりません。

一方、加計学園の件でも、違法性がないから、国はもっと重大な事象を議論するべきだ。との声もあります。確かにそうでしょう、しかし、本質的な問題は加計学園単体の問題ではなく、政治プロセスに論理性が欠如しており、さらに重要な課題の議論もできないのです。つまり、論点がないままでは、まともな議論の過程もなく、極端な言い方をすれば、権力(政府)が掲げる結論に賛同するのか、賛同しないのか、といきなり問いかけてくるようなものです。これは政治ではなく、中山きんにく君の「やるのか、やらないのか、どっちなんだい? やる〜」と同じです。

 

6、最後に

色々と前述致しましたが、これは現政権が悪いとかといった単純な問題ではないと、私は考えております。これは、参政権を持つ、「日本人の論理的思考性の劣化」であるというのが、私の一つの考え方です。まるで、私企業のバランスシートのごとく国家を捉え、金銭的損得にて政治をやる事が、至極当然な大人の意見として社会全体が捉えている稚拙さにあります。まるで、投資家のような収益、運用益で政治を語りたがり、見えない社会全体の利益(教育、倫理道徳観念による優しさ、差別をしない等の価値観、金銭で換算できない社会全体の利益、超長期的な社会的メリット)をあまりに軽視し、理想論を語る人々を、まるで分かっていないと糾弾してしまう幼児性。

前述したように、政治は私企業の経営戦略ではなく、社会全体の利益を探るプロセスにあると規定すれば、その中で比較対象として、運用益、収益を検討するべきですが、つまりそこが本質的な論点ではないのです。解り易く言えば、「身障者が健常者同様にLCC航空を利用できる環境が、将来的に身障者も活躍できる環境を創出する一助となる」と判断された場合、そのオペレーションコストを日本社会や企業が負担しうる必要経費と捉える事ができるからです。

もっと、言えば「あなた」がいつ、身障者にカテゴリーされるか分からない。これも事実です。現在健常者のあなたが、将来身障者になっても安心して活躍できる社会。

理想論だと笑えば、きっとそんな未来はこないでしょう。それを社会的な利益だと、日本国民が判断できる、そんな日本でありたいと、私は思います。

バニラエアと加計問題

 

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日本からのお客様から、日本の情勢を伺う事が多い私。後はインターネット。どうしても空気感みたいなものを感じたく、ついつい色々と聞いてしまう。

メディア媒体よりも、人と話す方が主観が入り正確ではないはず、と思っている方がいるかもしれませんが、当方からすると人から聞く話の方が空気感、実感がある。特に昨今「フェイクニュース」なる言葉も氾濫し、メディア自体の信頼性も瓦解してしまった。AIが人から仕事を奪う、という見出しに、日本の労働者人口の減少の問題が目前に迫る、という見出し。

バニラエアーで障害者の方が、車椅子での昇降を拒否され、自力であがるという記事を見ました。コメントを見ると、バニラエアーを非難する以外にも、事前に説明をしたバニラエアーに同情の声があがり、「これだから障害者ワガママだ、格安LCCに乗るな」「対応できる会社を選び、選択するべき」という意見もあった。

 

1、立ち位置を変えた論理的思考の欠如
人の視点は、100人いれば100通りの視点があって当然である。それは、お1人様に2個、目があり、合計200個、全く別の位置にある。2つとして同じ場所、時間に存在する事はない。至極当然であるが、まずこの事実を受け入れられない方々がいる。

その事実を受け入れられないとは、意見を言う人、社会を非難する人、を差しているのではありません。むしろ、それらの声に耳を傾け、論理的に会話する、問題点を論理的に整理するコミュニケーション方法の劣化を言っています。

営業職で働いた経験があれば、法人向け提案営業をやれば必然的に経験する事、それは”何が、双方の利益になり、不利益やリスクはどこにあるのか”という論点の整理と交渉です。論点の整理ができていなければ、交渉は難しく、特に交渉立会者が複数いる場合には論点の整理ができていなければ、まとまりません。

私は社会も同じ仕組みと捉えております。正当性を主張するのみであったり、権威性や規範、ルールを盾に頑なに認めない等は、ある意味、交渉術の部類で、本質的な論点を明確にする事を避ける為に使われる技術です。勿論、民間企業間であれば、不利な状況を覆す為、そのような技術を使い、何とかよりよい条件を獲得する努力は日常的に行われます。しかし、これが政治になってしまうと論点が見えないまま、ある方向へ誘導する技術であり、これは民主主義(選挙民が決定権者)でなくなってしまうのです。

 

2、現在の政治の劣化とは
まず、第一に我々が目を背けてならないのは、我々の政治への認識の低さが、現在の政治状況を映しているのであり、「参政権」のある国民全体の問題である事です。政治家を批判する事は、同時に我々自身への批判であり、むしろ「自己反省」をしているという側面(勿論、全てがと言うわけではないですが)もある事を認識しなければ、民主主義の本質から外れてしまいます。それが、我々が「参政」した結果なのです。

つまり、「政治の劣化」は、民主主義である以上、「国民の劣化」と同義語になる、むしろ民主主義である以上、ならざる得ない、と表現しましょう。

そして第2が、前述した私が考える「コミュニケーション能力の劣化」です。コミュニケーションとは何なのか?漠然とした抽象的な単語に「ボヤっと」してしまいますが、言い換えれば、上記に記述した「立ち位置を変えた論理的思考の欠如」です。もっと、分かり易く言えば、「相手の目に変え、そして自分の目との距離を把握し、”ギャップ”と論点はどこに、どの程度あるのか?」それを把握する能力です。

例えば、バニラエアーの件であれば、「あなたが障害者であれば、心身の障害を理由にLCC航空を利用できない」という事象にどう対応するべきか?という事で、障害者であるから他人に迷惑をかける、それなりの補助(人件費や設備費がかさむ)が必要になる事は会社側の視点であり、利用者側に立てば心身の障害を理由に搭乗を拒否される事は障害者差別と捉えるわけです。論点を整理すれば、格安航空はオペレーションの効率化(人員配置含め)で安いチケットを可能にしています。それによって排除される人々(想定されないマイノリティー)は健常者同様にLCC航空の利益を享受したいと思うのは当然で、身体的な事象から選択肢が狭まる事は避けたいでしょう。

この場合、論点は「身障者が健常者同様にLCC航空を利用する事での公共の利益は?」と言う事になります。

 

3、政治プロセスの重要性

憲法にもある、「公共の利益」とは何なのか?「私的な利益に対し、社会全体の利益を表す」(コトバンクより)。
バニラエアーの件を例題として言えば、私企業の為、当然私的な利益を優先した結果であって、はっきり申し上げれば、非常にシンプルな解りやすい結論という事ができるかと思います。勿論、一つ一つの事象に対する決定権は私企業である以上、「法律」の範囲内で決定する事ができます。前記の事象は違法ではないし、私自身バニラエアーを悪者にするつもりもありません、ただ現実、論点は存在し、それに対し排除される人々が現実存在し、その訴えに対し、私自身は耳を傾けるべきであると考えています。

そして「政治」があると考えます。「政治」は、そこに暮らす人々がより豊かになるにはどうするべきか考える、決定していく、プロセスにあるのです。もっと言えば、色々な声に耳を傾け、何が「社会全体の利益/公共の利益」になるのかを議論し、結果を導いていくのであって、まず最初に問題点「論点」があった上で、議論の後、結論が導かれる過程にあるのです。つまり、結論が先にあるはずがないのです。過程を踏まえた結果、結論が導かれるのが政治であって、結論が最初にある事を体現しようとする事は政治ではなく、利益集団(私企業)の経営戦略です。

 

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4、加計学園とバニラエアー

非常に、バニラエアーの件が解りやすい為、例題として引き続き使用させて頂ければ、当該案件が政治プロセスの出発点になり、そして仮に政治が議論の上、「身障者に対するオペレーションコストは航空会社が負担するものとし、体の障害を理由に利用を拒否する事ができない」と結論が導かれたとします。その際は、バニラエアーはそのコストを含めた価格設定をしなければなりません。

一方、話題になっている加計学園問題はどうでしょう。これは、明らかに結論が先にあり、むしろ政治プロセスを使い、結論へ誘導したと言い切ってしまっても構わない事象の一つでしょう。当然、加計学園は「私企業」である為、そのような働きかけをやる事は問題ございませんが、それによって政治プロセスが逆方向のベクトルに力が働く事は、極端な言い方をすれば、加計学園が政治プロセスを利用した、と言い方ができると思います。先日、安倍首相が、今後加計学園以外にも規制を緩和していく等の発言があったと言われておりますが、これも全く筋違いの話で始めに議論するべき事は、獣医師の数と需要の精査が必要で、1学校のみ認可を受けた、それはずるい、と言う話ではないのです。全く論理的思考の欠如と言っても過言ではないでしょう。

 

5、悲しい事実

バニラエアの件を例にあげ、記述してきました。私が言いたかったのは、単純に言えば一部の日本人の論理性の無さです。主体的に、自分の頭の中で論理的に考える事ができない、悲しい事実です。インターネット上の書き込みで、バニラエアの事件に対し、当該者に向かい「チョン」「シナ」だと書き込む方々の、あきれる程の論理性の無さです。仮に、中国の方でも、韓国の方でも、この事象に関しては同じです。身障者の立場に立って考えれば、彼がどこの国籍に属していようが、論点は変わりません。

一方、加計学園の件でも、違法性がないから、国はもっと重大な事象を議論するべきだ。との声もあります。確かにそうでしょう、しかし、本質的な問題は加計学園単体の問題ではなく、政治プロセスに論理性が欠如しており、さらに重要な課題の議論もできないのです。つまり、論点がないままでは、まともな議論の過程もなく、極端な言い方をすれば、権力(政府)が掲げる結論に賛同するのか、賛同しないのか、といきなり問いかけてくるようなものです。これは政治ではなく、中山きんにく君の「やるのか、やらないのか、どっちなんだい? やる〜」と同じです。

 

5、最後に

前述致しましたが、これは現政権が悪いとかといった単純な問題ではないと、私は考えております。これは、参政権を持つ、「日本人の論理的思考性の劣化」であるというのが、私の一つの考え方です。まるで、私企業のバランスシートのごとく国家を捉え、金銭的損得にて政治をやる事が、至極当然な大人の意見として社会全体が捉えている稚拙さにあります。まるで、投資家のような収益、運用益で政治を語りたがり、見えない社会全体の利益(教育、倫理道徳観念による優しさ、差別をしない等の価値観、金銭で換算できない社会全体の利益、超長期的な社会的メリット)をあまりに軽視し、理想論を語る人々を、まるで分かっていないと糾弾してしまう幼児性。

前述したように、政治は私企業の経営戦略ではなく、社会全体の利益を探るプロセスにあると規定すれば、その中で比較対象として、運用益、収益を検討するべきですが、つまりそこが本質的な論点ではないのです。解り易く言えば、「身障者が健常者同様にLCC航空を利用できる環境が、将来的に身障者も活躍できる環境を創出する一助となる」と判断された場合、そのオペレーションコストを日本社会や企業が負担しうる必要経費と捉える事ができるからです。

もっと、言えば「あなた」がいつ、身障者にカテゴリーされるか分からない。これも事実です。現在健常者のあなたが、将来身障者になっても安心して活躍できる社会。

理想論だと笑えば、きっとそんな未来はこないでしょう。それを社会的な利益だと、日本国民が判断できる、そんな日本でありたいと、私は思います。

どうしたんだ?日本人

 

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最近政治的な話ばかりで、大変申し訳ございません。
しかし、なぜでしょう。。。日本にいる時は、日本の文化等、気にも止めなかったものが海外に暮らしてしまうと、なぜかそこに寄りかかってしまう。

これは、海外に住んでいる人程、保守的で”日本文化”に繊細に反応してしまう、海外あるある。反応過敏というべきだろうか、悪い言い方をすれば、「自分の寄り何処」として心の中で、依存してしまうのかもしれない。

そんな、元来保守的な思想信条であった筈なのに、現在の日本保守に違和感を感じ始め、暫く経ってしまった。

元々、憲法は変えても良いと思っていた、最小限度の軍隊は持っても良いと思っていた、将来的には自国の軍隊を持ち、アメリカ基地依存は無くすべきだとも思っていた。
しかし、全ての外交案件はアメリカの動きに左右され、電力会社の強い経済基盤の前では原発の議論も正確にできない、日本のシステムは正直で正確だと思っていたが、恣意的で利己的になってしまった。助け合いの精神が日本の心、だと思っていたが、今や「パヨク」「ネトウヨ」だと、すぐに人を誹謗中傷する。そして、韓国人というと、悪口になった。

 

どうしてしまったのか?日本人。

 

待機児童や子供貧困、奨学金問題。そして、高齢化による社会保障の問題と労働人口減少化の問題。経済成長への不信。数々の命題が残る中、共謀罪、新安全保障、秘密保護法、国の根幹を揺さぶる大きな案件が次々に決定していく、圧倒的な支持を受けて。これは、まさに革新的な出来事です。(保守的な出来事ではなく、改悪の意味)

私は従前にも記述したが、元来保守的です。日本の文化や慣習を守り、より良い日本の未来を見ていたいのです。それは、戦争の準備することではありません。互いの信頼を分断することではありません。どんなに厳しい未来が予測されようと、互いに知性や技術で平和的に乗り越えていく民族像です。人殺しや、詐欺的手法ではなく、日本的な善意で満ちていたい。

 

保守は戦前回帰の復古主義というものと混同してしまっております。是非、伝えたい。確実に言えることは、現在世界に蔓延するムーブメントは保守主義ではありません、あれは「ファシズム」です。第2次世界大戦前に世界に広がった「ファシズム」です、それは良い悪いではないのです。自由な経済活動を求めていった現代社会が、反平等性が生じ、結果管理される事、管理する事を望み、反動のムーブメントとして「ファシズム」的な思想が伝播していく。

今、人類に求められているのは、この新自由主義の揺り戻しから、新たに創造される価値観の探求であり、このムーブメントを利用している復古主義活動への参加ではありません。